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中村俊輔に移籍を決意させたもう1人の“天才レフティー”

 レジェンドはレジェンドを知る――。

「名波(浩・ジュビロ磐田監督)さんが『門を開けて待っている』ということで、挑戦してみようかなと思って決断しました」

 1月13日、ジュビロ磐田の新体制発表の記者会見で、新加入の中村俊輔(38)は、そう語った。横浜F・マリノスの顔であり続けた中村の「日本サッカー界を揺るがす」(名波氏)電撃移籍はなぜ実現したのか。

「背景に前所属のF・マリノスの“御家事情”があります」と解説するのはスポーツライターの二宮寿朗氏。

 マリノスの親会社は日産自動車だが、昨今、提携関係にある英国のシティ・フットボール・グループ(CFG)が現場を取り仕切るようになっていたという。

「しかしCFGが連れてきたモンバエルツ監督は選手との意思疎通が十分とは言えず、昨季成績は09年以来となる2ケタの年間10位。今季、フロントは急進的に若返りを図ろうとし、ベテランの主力選手を放出しました。中村もピッチ外で深い悩みを抱えていました」(同前)

 そこにオファーを出したのがジュビロだった。

 
「マリノスを離れると考えたことはなかった」とも語っていた中村
Photo:Kyodo

「中村が熟慮の末に磐田行きを決めたのは、尊敬する名波監督の存在が大きかった」(同前)

 中村と名波は、ともに左利きで、代表の「10番」を背負った。2人が揃ってピッチに立って優勝した2000年のアジアカップでは、こんなエピソードがある。

「中村は当時のトゥルシエ監督から不慣れな左アウトサイドでプレーすることを要求されて苦闘。それを感じた名波は中村とポジションチェンジをしながらサポートしました。中村は先日の会見でも『(名波氏は)自分のプレーを出すだけでなく、周りの選手のことまで見えている印象』と語り、今でもこのときのことを恩義に感じているようでした」(ベテランライター)

 一方の名波氏も中村について会見で「年下だけど大きな尊敬の念を持っている」と語る一方、当時の2人の関係を「お互いにシャイボーイなので部屋の行き来はなかった」とも明かしている。

 監督と選手という立場でコンビを組む2人の天才レフティーはどんなサッカーを展開するのか。要注目だ。