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『AKIRA』大友克洋が36年前に「2020東京五輪」を予言できたのはなぜか

1982年12月20日号連載開始

2018/12/20
note

随所に顔を出す「昭和っぽさ」

『AKIRA』(KCデラックス)第1巻

 こうした世界観ゆえ、『AKIRA』には、近未来的なものだけでなく、戦後の復興期から高度成長期にかけての風景や事物を思い起こさせるものが随所に登場する。超高層ビル群から一歩路地裏に入れば、昭和っぽい家屋や店舗が軒を連ねているし、主人公(狂言回しというべきか)の金田少年が逃亡中にかくまわれるアジトにも、四畳半にちゃぶ台の置かれた部屋があった。金田はそこで“人工サンマ”を出され、貪るように食べる。アジトの主でゲリラに武器を調達する「おばさん」ことチヨコも、登場した当初は割烹着をまとい、昭和のおかみさん風に描かれていた。

 また、超能力少年・アキラの覚醒によりネオ東京が崩壊したあと、金田の親友だった鉄雄がアキラを“大覚”として祀り上げて「大東京帝国」を興すと、廃墟のなかに「大東京帝国 万歳」の落書きが散見されるようになる。その字体は、1960年代末の学園紛争で見られた立て看板の文字(ゲバ文字)にどことなく似ている。このほか、同じく廃墟のなかに建ち並んだマーケットは敗戦直後の闇市のイメージと重なるし、ヒロインのケイの前に立ちふさがる野郎たちの格好は昭和のヤンキーそのものだ。

大友克洋はノスタルジーを求めたのか?

『AKIRA』の連載時期(1982~90年)はちょうどバブル期と重なる。単行本全6巻が完結したのは、バブル崩壊後の1993年だった。この間、東京では大規模な再開発や、過剰な土地投機にともなう民家や個人商店の立ち退きにより、昭和的な風景が失われていった。そう考えると、先にあげた描写はどこかノスタルジックでもある。ただし、作者の大友は、失われたものを惜しむというよりは、むしろ常に変化し続ける、混沌とした東京こそ愛しているようだ。それは、今回の番組放送にあたり、東京について語った以下のメッセージからもあきらかである。

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《東京は、常に変化している。都市は生きものだから、それはしょうがないんじゃないですか。だから人々の生き方やスタイルが少しずつ変わっていくんじゃないでしょうか。/新しい東京を、新しい人たちが創っていくべきだと思います。/これが今回の番組の、テーマなんじゃないかなと思っています。昭和の残滓(ざんし)を全部切り捨てて、新しいものを作り上げるということ。東京はいつもそんなふうでなきゃいけないんですよ》(※)

2019年11月の完成予定に向け、急ピッチで建設が進む新国立競技場 ©共同通信社

『AKIRA』の終盤、アキラが破壊兵器そのものだと察知した米軍は、彼をネオ東京もろとも消し去るべく、軍事衛星からレーザーを発射する。これを受けてアキラは再び覚醒し、その結果、ネオ東京は徹底的に破壊し尽くされた。このあと、ネオ東京は武装した国連の監視団の配下に置かれるが、金田はこれに反旗を翻し、先の覚醒後に消えたアキラの魂を継ぐべく生き残った仲間たちと新たな「大東京帝国」の建国を宣言、物語は再生を予感させたところで締めくくられる。

 金田の建国宣言はいわば、誰の手も借りず、戦後をやり直そうという決意表明であった。ひるがえって現実の日本では、戦後レジームからの脱却をめざす安倍政権のもとオリンピックの準備が進められつつある(ちなみに安倍晋三と大友克洋はいずれも1954年生まれ)。反体制側と体制側と再生の呼び声を上げる者の立場こそ違うが、戦後に一区切りをつけるという意味でもまた、『AKIRA』で描かれたことと現実の動きがクロスしていることに驚かされる。

「NHKオンライン」2018年12月14日

『AKIRA』大友克洋が36年前に「2020東京五輪」を予言できたのはなぜか

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