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『誰より好きなのに』から22年――古内東子「恋愛を書ける自分がまだ残ってた」

古内東子インタビュー

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『レッツゴーヤング』で観た松原みきの『真夜中のドア』

――最初にそれこそ音楽に興味を持ったきっかけが、松原みきの『真夜中のドア』だったという。

古内 はい。あれは『レッツゴーヤング』っていうのを観てました。そこに松原さんが出てきて。衝撃的にかっこよかった。

――歌がうまいって感じですか。

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古内 いや、曲に惹かれました。当時小学校2年生ぐらいだったと思います。

――早熟ですね。ちなみに、『真夜中のドア』もシティポップス的に再評価されてます。

古内 そうなのか。でも後々『真夜中のドア』のアレンジとか、こういうことをやっているのかって、わかっていくんです。そのさらに元にあった曲とかも。たぶんそういうのを好きな人たちが作ってたんだから、好きだなっていう。

 

洋楽はクイーンやドナルド・フェイゲンを聴いていた

――そこから洋楽とかもどんどん聴くようになっていく。

古内 そうですね。ただほんとに姉の影響がすごく大きかった。オフコースさんとかは全部持ってたんじゃないですかね。だからそれはすごく聴いてたし。あとクイーンとかドナルド・フェイゲンも聴こえてきたり、色々。その中から自分で好きなものをピックアップしていくという。

――今回のアルバムでは、AORというジャンルは意識したとのことですが、過去のアルバムの中でも意識されたことはあります?

古内 AORっていうのは今までないですね。ジャンルに特にこだわりはないんです。でも回りのスタッフたちに、いまは90年代がきているからみたいに言っていた人がいたのは覚えてます。私は、ちょっとずれてるというか。どういうことなのか、わかりませんでしたけど(笑)。

――デビューが1993年ですが、当時は女性シンガーソングライターがちょっとしたブームだった時期みたいな意識はあったんですか?

古内 そうだったんですかね。覚えていないですね。だけど、ガールポップという言葉があったんですよ。私もそのくくりで雑誌に載せてもらったりしていました。

――当時同世代の歌手の中でのポジションみたいなものって考えたりしていました?

 

古内 私自身は、当時から流行ってるものからは外れてるなという意識があったんですね。恋愛、ラブソングというものはいっぱいありましたけど、当時はもっと外からの応援歌的なものが多かった気がします。なので自分が書いていたような曲が主流だったとは感じたことが一度もなくて。