昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載ことばのおもちゃ缶

山田 航
2016/01/24

究極の言葉遊びは「短歌」(2)
言葉しかなかった。

genre : エンタメ, 読書

 ある言語のネイティブであるということは、叙述法のルールから逸脱した言葉に対しても確固としたイメージを脳内再生出来るということである。「リポグラム」の回で「同じ母音だけで構成されている言葉」を収集していると書いたが、集めているのはそれだけではない。「一行で矛盾した言葉」(通称「ショート矛盾」)というのも集めている。例を挙げるとこんなの。

忘れられない忘年会
目には見えない赤い糸
禁煙なら何回もした。
どこにでもいるような大統領
一部の地域を除いて『みんなのうた』をお送りします。

『みんなのうた』というタイトルなのに一部の地域で放送されなくなってしまうのは矛盾している。しかし『みんなのうた』は固有名詞であって、文字通りみんなに届かなければならないという意味合いは別に持っていない。フトシという名前だからって太っていなくてもいいように、そういう性質の言葉がこの世界にはある。事実を伝えていると解釈しなくてもいい言葉が含まれているという、特殊なシチュエーションだと解釈出来るのだ。「どこにでもいるような大統領」にしても、主婦や公務員なら「どこにでもいるような」と形容することは出来るだろうが、大統領は世界中にたくさんいるわけではない。だからその表現は本来ならおかしい。しかしこの文章の叙述された世界が、大統領がたくさんいるような特殊な社会構造を持っていると解釈することも、決して不可能ではない。

 ほかにも、現実を超えたロマンティシズムを表現するための「目には見えない赤い糸」だったり、ジョークを表現するための「禁煙なら何回もした。」だったりする。字面のうえでは矛盾していても、叙述として成立している以上それは、意味がわからないほうがおかしいちゃんとした文章なのだ。

 ルールを逸脱した言葉に対しても「何らかの特殊なシチュエーションがあるのではないか」「われわれが生きている現実とは違う世界観なのではないか」などと整合性を付けて解釈しようとする。これは、言語習得者にしか出来ない優れた能力だ。これを読んでいる人はほぼ間違いなく母語があるだろうから、外国語に触れてでもいない限りその有り難みをついつい忘れてしまっているかもしれないけれど。

【次ページ】

はてなブックマークに追加