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「母親はずっと子どもと一緒にいるのが幸せ、それで満足すべき」という社会への疑問

「産後ケアをすべての家族に」マドレボニータ創業者・吉岡マコインタビュー#1

2019/01/09
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自分が後悔しない道を選ぶために「言葉」にする

――マドレボニータが他の産後の女性をターゲットにしたサービスと一線を画しているのは、マドレボニータが単純なリハビリプログラムを紹介するのではなく、「シェアリング」と呼ばれる、自分の将来像を考える時間を参加者に促し、話し合う時間を設けたことにあったのではないかと思います。

吉岡 教室を始めた頃は、「体と心は繋がっているから、体が元気になれば心も元気になる」という信念がありました。ところが回を重ねるうちに、教室終了後、参加者が立ち話でパートナーとの関係、職場復帰への葛藤や不安、出産を契機に考える自分の人生に対する漠然とした悩みを互いに語るなかで、次第に自分自身に問い掛ける様子が散見されるようになりました。彼女たち自身の持つ本来のエネルギーが溢れ出す姿を目の当たりにして、私は「人は体が元気になると本来の自分の力を発揮することができるようになる」と思いました。そこで、プログラムとして参加者同士が話す「シェアリング」の時間を作りました。

シェアリングの様子

――「〇〇ちゃんのママ」ではなく今を生きる一人の女性として、「本当に必要なものは何なのか、自分がしたいことは何か」と自分自身に問いかけること、そういうことを真正面から語れる場は、普段からあるべき貴重な時間だと感じました。日常生活の中ではほとんどありませんし、特に育児が始まると忙殺されてしまいます。この教室でなくとも、日常の中でこういう時間があるといいと思いました。産後であってもなくても、女性だけでなく男性も、友人同士や家庭内で当たり前にこういう対話が行われるぐらいの社会になれば、もっと社会は生きやすく、大きく変わっていくのではないかな、という印象を持ちました。

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吉岡 皆さんその時その時で、葛藤や悩みがあり、客観的な正解はないんですよね。なら、自分が一番後悔しない道を選べばいい。ただ、選ぶためには自分で考えないといけないし、それを誰かと分かち合うためには、言葉にする必要があります。そうやって分かち合うことによって自分自身に問うことができます。何度も問うことで、選択の精度も高まる。産後は大きなターニングポイント なので、この教室でやる意味があります。本来人間には、そういう力が備わっていると信じています。

 

母親という存在の均一性への違和感

――本質的な悩みを話せれば、“ママ友”ではなく、うわべだけではない友人ができる場にもなるかもしれませんね。

吉岡 私が母親になった時、母親という存在の均一性に違和感を持ったことがありました。多様性がないことにつまらないと思ったのです。本当はみんな好きな趣味や映画や音楽などがあるはずなのに、そういう話が入り込むすきがない。みんなが母親の顔しか出さず、個性が見えてこないからつまらないのです。

 教室を重ねていくうちに、授乳しながらでも、オムツを替えながらでも、「〇〇ちゃんのママ」ではなく、一人の尊厳を持った人間として存在することは可能なのだという手ごたえがありました。赤ちゃんも同様に、一人の尊厳を持った人間です。だから「ママのための場」ではなく、「母となった女性のための場」が必要なのです。これは、産後の女性が元気になるために欠かせない要素です。お互いに一人の大人として尊重して接し合うからこそ、自分の個性を隠さず話すことができ、次の一歩を踏み出す勇気につながっているのだと思っています。

#2 産後「企業にぶらさがる」女性と「モチベーションを維持する」女性は何が違うのかに続く)

 

写真=深野未季/文藝春秋 

「母親はずっと子どもと一緒にいるのが幸せ、それで満足すべき」という社会への疑問

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