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「あのスクープはこうして生まれた!」――「週刊文春」編集長による平成スクープ対談 #1

「週刊文春」第13代編集長・花田紀凱 × 第20代編集長・新谷学 スペシャル対談#1

貴りえ報道、統一教会、一杯のかけそば――平成を騒がせた『週刊文春』のスクープはいかにして生まれたのか。『週刊文春』第13代編集長・花田紀凱 × 第20代編集長・新谷学が、今だから語れる秘話を明かします。(『週刊文春 丸ごと一冊タンマ君 特盛!』に掲載された対談から一部転載)

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新谷 私が入社したのは平成元年で、当時の『週刊文春』の編集長は花田さんでした。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、本当に輝いてましたね。

花田 いやいや、そんなことないですよ。

「週刊文春」第13代編集長 花田紀凱

新谷 私は平成24年から30年まで編集長をやったので、「平成の最初と最後の年の編集長で『週刊文春』30年間のスクープを振り返る」という対談をさせていただくことになりました。

花田 ぼくは昭和63年の7月に編集長になって、平成6年までですね。

新谷 過去30年の目次を改めて見直したんですが、花田さんの時代は大きなスクープが多くて、派手にドンパチやってる印象ですね。

花田 結構、真面目にやってたでしょ。

新谷 いまより芸能記事が少ないですね。

花田 圧倒的に少ない。ぼくも目次を見てそう思った。

「週刊文春」第20代編集長 新谷学

新谷 政治記事で売れてましたよね。政権批判をしっかりやって。

花田 国際的には天安門事件、湾岸戦争、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊などがあり、国内でもリクルート事件とか細川連立内閣とか激動の時代だった。ああいう時代に編集長でいられたのは幸せでしたね。

新谷 事件記事も、読者の関心を惹いていたし。

花田 大きなネタがあると、5週も6週も続けてやったからね。いまはネットなどのせいで、スクープの賞味期限も短くなった。

6週連続で売れた「貴乃花・宮沢りえ報道」

『週刊文春 丸ごと一冊タンマ君 特盛!』対談全文はこちらに掲載

新谷 芸能記事をやり過ぎだとよく花田さんには怒られますが、ずいぶん状況は変わりました。花田さん時代に一番売れた号って何ですか? 

花田 貴乃花(当時は貴花田)と宮沢りえさんの婚約解消と、山崎浩子さんの統一教会脱会手記。あと「一杯のかけそば」全文一挙掲載。その3つじゃないかな。

新谷 「一杯のかけそば」が日本中の話題になったのは、『週刊文春』がきっかけだったんですね。そんなに売れたんですか。

花田 あの号の返品率3%はたしか、当時の新記録。

新谷 貴乃花は現在に至るまで、『週刊文春』にとって非常に大切なスターです。貴・りえ破局があり、整体師による洗脳騒動やお兄ちゃんとの確執があり、「全ての元凶はオフクロなんです」の衝撃告白があり、今回の相撲協会との騒動があり。