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「すごく窮屈でねえ……」“アンチ広島”だった少女が“熱烈カープファン”になるまで

映画監督・西川美和『遠きにありて』刊行インタビュー

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広島出身なのに10代の頃は、アンチカープ

《ひいきのチームもある。西川さんは広島出身。そう、ここ5年で屈指の人気球団となった、広島東洋カープの熱烈なファンだ。2016年、久しぶりのセ・リーグ制覇を決めた試合には、チケット転売業者にすがりついて東京ドームに駆けつけているし、日本シリーズも何度となく観戦している。しかし……》

西川 実は、10代の頃は、アンチ広島だったんです。カープそのものが嫌い、ということではなかったんですけどね。子供の頃、広島に暮らしていると、広島東洋カープを応援する以外はあり得ないような雰囲気があって、それがすごく窮屈でねえ……。私よりもっと前の世代の人たちは、広島の戦後復興と球団創設からのカープの苦難の歴史とが重なって、市民として深い感情移入があるのは当然だったと思うんですけど、私は遅れて生まれています。だから、物心ついた時には猫も杓子も疑いもなくカープにしか目を向けない、という状況だったことが、なんだか狭苦しくて自己完結的な感じがして、中日やヤクルトの選手を応援したり、パ・リーグのファンになったりもしていました。世界には他にもっといろいろなことがあるし、あっていいだろ、と反発していたんですね。

いつもブラウン管に映っていたカープと大相撲の中継

 それでも広島市民球場は本当に好きな場所で、あの優しい味のカープうどんもよく食べていましたし、古葉監督時代のカープの選手のことも、親戚のおじさんのような妙な近しさを感じながら眺めていましたね。

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現マツダスタジアムのカープうどん ©文藝春秋

 実際、自分が子供の頃見ていたテレビのブラウン管には、日常的にカープの中継も映っていました。あとは……祖父母と一緒に見ていた大相撲中継がスポーツ観戦の原点かなあ。初めてひいきにした力士は高見山関でした。朱色のまわしに縮れたもみあげ、大きいのにいつもコロンと負けちゃって、土俵にお行儀座りみたいになって(笑)。その姿をみて、祖父母が「高見山、また負けちゃった」って言いながらなんだか楽しそうにしている。強いばかりが魅力ではない。その人の個性や出自やたたずまいが何かを惹きつけるんですよね。と言いつつも……やっぱり現役時代をこの目で見られてよかったな、と強烈に思うのは千代の富士関ですね。体がはがねのようで、本当に強かった。これ以上はないな、という完全体のものを観ている感じがありました。強い人が、とことん強さを極めて行くさびしくて苦しい行程を見ていくのも、また好きなんですよね。