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名将になれなかった名参謀、中日・森繁和前監督が愛された理由

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2019/01/15

 2018年10月15日――。与田剛新監督の就任会見が、名古屋市内で開かれた。157キロの速球で度肝を抜いた、あの剛腕が名古屋に帰ってくる――。地元メディアは久々の生え抜き監督を歓迎し、会見に集まった100人を超える報道陣が祝福ムードを演出していた。

 取材を終えた筆者は会見場の入っている中日ビルを出たそのとき、すれ違った2人の男性を自然と目で追っていた。つい2日前、ナゴヤドームでファンに別れを告げ、静かにユニフォームを脱いだ森繁和前監督が、広報の小林正人さんを連れて球団事務所へ上るエレベーターを待っていた。

 淡い色みを帯びたレンズの眼鏡とオールバックに整えられた髪型。身なりはいつもと同じでも、スーツが引き立たせた見栄えは別格だった。大人の男が醸し出す色気に見惚れつつも、どこか寂しげに見えたのはじつに勝手な偏見である。それはきっと、カメラのフラッシュが焚く眩い光を浴びていた2年前の光景が思い起こされ、しかし、その場所には後を任された別の人間がいたという事実が、そう思わせたのだ。

 自身を“つなぎの監督”と認めて采配を振った2年間の成績は、いずれも「5位」。黄金期を築いた落合博満監督から絶大なる信頼を得ていた名参謀は、名将にはなれなかった。6年連続Bクラスは球団ワーストを更新。そのうちの5年間における当事者だったのだから、トップが責任を取るのは勝負の世界において当然のことである。解任を求める声で一色になっても不思議ではないところ、実際は違った。続投を支持するファンの声が少なくなかったのだ。

 森繁和にしか成し得ることのできない芸当こそ、支持を集めた最たる理由ではないだろうか。他の11人の監督が一朝一夕で真似することのできない専売特許。優秀な新外国人選手の発掘だ。

静かにユニフォームを脱いだ森繁和前監督 ©時事通信社

チームのために海を渡る稀有な監督

 森繁和国際渉外担当の外国人選手を見極める目利きの高さは、2018年シーズンも証明された。

 オネルキ・ガルシアはチームにとって3年ぶりの2桁勝利を挙げて先発の柱となり、ソイロ・アルモンテも主軸として強力打線の構築に貢献した。何より監督の職に就いてからも自ら中南米の異国に足を運ぶ行動力に、チームを強くしようとする本気度が頼もしかったのだ。

 加えて就任時に掲げていた攻撃野球が実ったことも大きかった。点が取れる攻撃野球は盛り上がるし、愉しみやすい。「あとは投手陣だけ――」と期待も膨らんでいたに違いない。思うところは人それぞれでも、好意的な目で見ていたファンは気づいていたのではないか。それは、森繁和がドラゴンズファンを大切に思う監督だったということを。試合後の囲み取材の場にいた筆者は、何度も耳にしていた。ファンに向けたメッセージの数々だ。