文春オンライン

超ラジオっ子・南海放送社長が語る「テレ朝最終面接の“古舘くん”が凄かった件」

南海放送・田中和彦社長インタビュー #2

note

「M-1失言問題」がラジオだったらここまで炎上したか?

——憧れは亀渕さんとのことですが、TBSの林美雄さんは聴いてましたか。

田中 林さんがミドリブタやってた『パック・イン・ミュージック』も聴いてました。ただ、縁があってその後、親しくなったんです。というのは、当時の僕の上司だった宇都宮アナウンス部長が林さんと競輪仲間だったんですよ。それで休暇で松山競輪にいらしたときに、僕は林さんの奥様を観光案内する相手役をしたんです。それ以来、縁をいただきまして。林さんこそ、ラジオの自由を体現するような人でしたね。

——今、南海放送のラジオ番組編成は、自局オリジナルがどれくらいの割合なんですか?

ADVERTISEMENT

田中 6割くらいかな。他局に比べて多い方だと思います。ただ、どうも大胆な企画が登場しないのが少し物足りない。ラジオは自由が担保されているんだから、飛躍した企画でも何でも出せば通りやすいのにね。この前も「新元号特番やろうよ。こっちで100くらい予想しておいて、いざ新元号発表の際にそれがあったら盛り上がるよ」って思いつきを言ったんだけど、「そんなことして怒られませんかね」って。

 

——慎重に反対されましたか(笑)。

田中 そう。ただ僕、最近思っているんだけど、ラジオが備えている独特の自由度って、もっと注目されていいと思っているんですよ。変な自由度というかな、笑って許される範囲が広い気がしているんです。たとえば、先日のM-1グランプリ放送後に起きた若手芸人がベテランに対して暴言を吐いた事件。あれがラジオで行われた会話だったらどうだったでしょうね。まあ、たとえラジオでも許容できないくらいの暴言ではあった。でもラジオって結構際どいところまでみんな喋っちゃうでしょう。だから、あそこまで繰り返し炎上してたかなって。気になっています。

——あれはインスタライブ発の問題発言で、それが一気に広まりました。

田中 炎上するということは、そのメディアに自由度がないということ。ネットって自由の象徴のように言われたりしますけど、実はその反対なんじゃないかなって思います。だからラジオの番組にせよ、ドラマにせよもっと実験的な試みをしてみたり、もっと自由に作っていいんだよと言いたいです。

田中社長原作のラジオドラマが映画になり、斎藤工が出演するに至る ©2019「ソローキンの見た桜」製作委員会

「作る会社」にしていかないと地方局は滅びていきます

——お話を伺っていますと、田中さんは「作る文化」を大切にされているような気がします。

田中 テレビ番組を含め、「作る会社」にしていかないと地方局は滅びていきます。大前提の作るという仕事を忘れ、キー局のドラマやバラエティ等を流すだけの局は淘汰されるでしょう。それに対抗するには自局オリジナルを作る戦力が必要で、僕が社長に就任してからは、懐事情は別として歯を食いしばってどんどん人を採用してます。

——南海放送のカルチャーとはどんなものでしょうか。

田中 制作する社員に伝えているのは、とにかく作る人間を応援するよと。逆に自分では何も作ろうとせずに「評論」ばかりしている人には厳しいです。

 

——たとえば東海テレビはドキュメンタリーである種の存在感を出していますが、南海放送はいかがですか?

田中 うちにも地域に密着した名うてのドキュメンタリストがいて、ビキニ環礁の水爆実験被害をずっと追い続けて『X年後』という映画作品も手がけた伊東英朗ディレクターや、認知症を患った妻と夫の時間に密着した『薫ちゃんへ。 認知症の妻へ1975通のラブレター』を手がけた寺尾隆ディレクターなど、多士済々ですよ。寺尾は空気になれるディレクターですね。

——存在感を消すのがうまい。

田中 その通りです。ドキュメンタリーは取材者が透明人間になってこそですからね。僕には向いてない。だって、ずーっと喋って前に出ちゃうから(笑)。