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好きな言葉は“ど根性” 中学日本一に輝いた女子エース・島野愛友利の新たな夢

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2019/01/20
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 中学硬式野球の日本一決定戦、全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップ。東京ドームで行われる決勝戦での勝利を目指し熱戦が毎年8月に行われている。その12回目となる昨年の大会で歴史的な快挙が達成された。女子投手である島野愛友利(あゆり)が最終回を締めて胴上げ投手となり日本一に輝いたのだ。しかも彼女の背番号は「1」。 “女子の中では好投手”というレベルではなく、男子の有望選手たちに対して正真正銘のエースとして頂点に立ったのだ。

小笠原慎之介(現中日)ら数多くの好投手たちと並ぶ胴上げ投手となった島野愛友利

弱気な姿は見せない

 野球を始めたのは2人の兄の影響だ。5つ上の長男・凌多さんは内野手として大阪桐蔭でメンバー入りし現在は龍谷大でプレー。1つ上の次男・圭太さんも内野手として同じく大阪の強豪である履正社でプレーしている。グラウンドに自然と通ううちに自分もやりたくなり、小学2年生から西ファイターズに入団。同学年で女子は1人だけだったが、6年時には主将を務めた。

 体格差の変わらない学童野球で女子の活躍はさほど珍しいことではない。小学生の精鋭が揃うNPB12球団ジュニアトーナメントでも女子選手が活躍するケースは時折ある。ただ中学野球になると体格差・体力差が如実になっていく。それは島野も把握しており、中学進学時にはソフトボールへの転向を考えた。

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 それでも選んだのは最も厳しい道だった。

「(男子の)スピードもそうですし、厳しいレギュラー争いで成長したいと思いました。不安ではありました。でも今後も野球を続けていくのなら、それが一番自分のためだと思いました」

 兄・圭太さんも在籍していた大淀ボーイズを選んだが、女子選手は他にはおらず。部員は同期だけでも約30人もいた。何度も心が折れそうなことはあった。

 1年冬のランメニューについていけなかった時、2年で試合に出られない時、3年で体格の差をあらためて感じた時と様々あったがその都度乗り越えてきた。

 指導する小林将起監督は投手としてPL学園(ヤクルト・宮本慎也ヘッドコーチと同期)、青山学院大と第一線でプレー。2012年から監督となったが女子選手への指導は初めてだった。最初はどう指導するか迷いもあったが、男子と同じメニューを与えた。そこでついて行くことさえ必死だった島野だが、男子選手が厳しいメニューを課されて「えー」と思わず漏らしても「あの子はそういう顔は一切しませんでした」と必死に食らいついた。

小林将起監督と

発想の転換

 厳しい練習を乗り越え、メンバー入りを果たしたが2年秋までは背番号「10」。それでもひと冬を越えた春にエースナンバーである「1」を獲得した。その裏には発想の転換があった。もともと「中学になったら野手では勝負できない」と投手一本に絞っていたが、その中でも男子選手になんとか勝とうともがいていた。だが、球速や球威で勝負して相手打者をねじ伏せるような投球をするのではなく打たせて取る投球へとスタイルを転換した。

「インコースに投げきれるような気持ち作りと、投球練習からコントロールを意識しました。それまでは(男子選手に比べて)背が低いから高く見せようとしていたけど、そうではなく低い位置から前で球を離すようにしました」

 低い位置から投げるために、入浴後にストレッチを丹念にして柔軟性をつけた。また、監督の信頼や仲間の支えに応えたいという思いも成長を後押しした。初めてエースナンバーを背負った春の全国大会予選では初戦敗退を喫してしまったが、それでも小林監督は「性別は関係ない。ここで終わりじゃないぞ」と以降も島野に1番の背番号を与えた。

 さらに主将を務める山下来球とも頻繁に相談をして、互いに苦しい思いを共有した。そして小林監督が「気持ちの強い子が多かったですね」とたくましさを増した3年生たちは結束力を高めて躍進を続けていくことになった。

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