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平成の大ベストセラー『国民の歴史』の西尾幹二が語る「保守と愛国物語への違和感」

“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #1

2019/01/26
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絶対的な客観性を持った歴史などあり得ません

――『ヨーロッパの個人主義』(1969年)でも、新刊の『あなたは自由か』(2018年)でも、自由とは制限の中で発揮されるものだ、と論じられていますが、それは歴史においても同じだと。

西尾 同じですね。日本の歴史における「鎖国」を例にしましょうか。そもそも鎖国とは江戸時代の初期、寛永の禁足令で海外渡航が禁じられたところに端を発するわけです。この「お触れ」がどんなものだったのか、動かない過去の事実を丹念に徹底的に調べるのが「実証」ということです。だけれども、これだけでは歴史を書くということには全くなりません。

 

――もう一つ、物語化が必要なのですね。

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西尾 そうです。なぜ鎖国が起こったのか、その原因を考えるときに私たちは様々な事実を拾い集め、選択し、評価するわけです。しかし、選択や評価には必ずその人の価値観や先入観が反映されます。もっと言えば歴史家の主観や好み、さらにはイデオロギーから生理的な体質に至るまで、さまざまな要素が反映されます。その結果、「鎖国」という動かしようのない過去に個人的な解釈、ものの見方が入り込み、「鎖国という光景」が立ち現れる。これが歴史を記述するということです。

――実証的事実に縛られつつも、歴史家個人としての解釈を反映して初めて、歴史記述がなされるということですね。

西尾 そうです。歴史は自然とは違って科学の対象とはなりきれないものなんですから。だからこそ、歴史には生命がある。絶対的な客観性を持った歴史などあり得ません。

 

「歴史は物語だから、自由自在に書いていい」のか?

――そこでお伺いしたいのは、現在ベストセラーになっている百田尚樹さんの『日本国紀』のことです。この本は「歴史は物語だから、自由自在に書いていい」との態度で書かれているとして一部で批判もされています。

西尾 全部丁寧に読んだわけではありませんから、正確なことは申せません。ただざっと見て、古代史における「日本と中国の文明の戦い」という観点に踏み込んでいないように思いました。現在の日本史学会の主張は「中国古代文明が日本に文明の雛形を与えた。日本は必死にそれを学んだ。でも及ばなかった」という、日本は永遠に文明上の後追い国家だという劣等感を持った歴史像です。私はそこを打破した歴史を語らなければならないと考えました。

 

 つまり歴史学会の固定観念を一掃しなければならない、と考えていますが、百田さんは日本を誇らしげに語ってはいるけれど、この重要な論点をテーマに据えていないですね。これは意外でした。