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「小説執筆とIT企業の経営、僕は“両極”にあるものが好きなんです」――芥川賞受賞・上田岳弘インタビュー

『ニムロッド』で第160回芥川賞を受賞

2019/01/23
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「駄目な飛行機コレクション」というモチーフ

 その「ぼんやりとしたイメージ」とは、たとえばどんなものなのか。

「今回の受賞作でいえば、初めにあったのは、仮想通貨と『駄目な飛行機コレクション』というモチーフ。このふたつが、どこかでつながっている予感がしました」

「駄目な飛行機コレクション」とは、その時代の最先端技術を用いて大真面目に研究開発されたものの、ろくに飛びもせず計画が頓挫した飛行機を紹介している、インターネット上に実在するまとめサイトのページ(実在のほうの表記は「ダメな飛行機コレクション」)。そんな趣味性の高いコレクションと仮想通貨、どこでどうつながるのだろう。

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©平松市聖/文藝春秋

「仮想通貨、今作に出てくるのはその一種ビットコインですが、これはサトシ・ナカモトなる人物がしくみをつくったと言われています。実在するのか、個人であるのかもわかりませんが。要は匿名性のもとに、名前だけある存在なのがサトシ・ナカモトです。

 かたや『駄目な飛行機コレクション』のなかには、旧日本軍の特攻機『桜花』が入っています。操縦士が帰って来られないことを前提に設計されたこの飛行機の開発者は、のちに自分の名前を捨てて生き延び、天寿をまっとうしました。

 ビットコイン創設者の名前だけがある状態と、『桜花』開発者の名前を捨てた状態というのはまったく相反する。それでいて仮想通貨と駄目な飛行機というのは、捉えどころのなさのようなところが似通っているんじゃないか。そんな直感があったので、ふたつを合わせてモチーフにし、書いてみようと始めました」

 そこからあの壮大なストーリーが紡がれていったとは意外である。

単なるソースコードに過ぎないのに……

 仮想通貨をモチーフにしたのは、いまの時代を描き出すため旬のテーマを扱ったのかと思えたが、そういうことでもないようだ。

「仮想通貨ができたのはすでに10年ほど前のこと。当初はこんなの絶対に流行らないと言われていて、実際2年くらいはほとんど相手にされていませんでした。でも、あるとき風向きが変わって、急に流行り出したんですよ。消え去らなかったのは、そこに何かしら“真なるもの”が含まれていたということでしょう。

 単なるソースコードに過ぎないのに、いまや仮想通貨の時価総額は10兆円規模。これってすごいことです。流行っていたり世に影響を与えているものには、必ず語られるべき何かが含まれていると思うので、そこは恐れず飛びついて書きたいという気持ちはあります。新しいものを書く、それは小説のひとつの醍醐味だと思います」

 仮想通貨は、いまの時代を表すテーマのひとつ。たしかにそうなのだけど、内実をまるで知らなければ小説に書くのは難しい。その点、上田さんは仮想通貨と多少なりとも馴染みがあった。

「直接の関わりはほとんどないんですが、知り合いが『仮想通貨ビジネスを始めました』と言ってきたり、ライバル企業が仮想通貨を手がけるらしいという情報が入ったりということはあって、身近な存在ではありますね」

逆の“極”も体験しておかないともったいない

 そう、上田さんは小説家以外に、もうひとつの顔がある。ITベンチャー企業の役員としての仕事も持つ身なのだ。

「セキュリティソフトを企画・開発・販売している会社なので、仮想通貨と直接の関係はないのですけど、親和性が高いのはたしかです」

©平松市聖/文藝春秋

 小説とは文字だけを用いてつくられる、古くから続くアナログな表現手段。いっぽうでIT企業の経営となれば、最先端の知識も要求されよう。両極端な存在をともに仕事とし、行き来するのはしんどくないのだろうか。

「もともと両極にあるものが好きなんです。何かを買うときでも、一番安いものか一番高いものかのどちらかを選ぶ傾向がある。人生の進路にしても、最終的に作家になるのであれば、高校では理系コースに進もうとか、両極を知れるようにしてきましたね。高校で文系コースを選び、大学で文学部に進み、作家になってしまうと、理系の知見を得る機会がなくなってしまう。最終的にこちらの“極”に行くのなら、逆の“極”も体験しておかないともったいない気がしてしまう。会社に所属しつつ小説家をやっているというのは、その性向からきているのだと思います。

 他の世界を知っていると、まちがいなく視野は広がりますからね。『じつはこういうのをやってまして』という仕事があると、作家だけやっているのでは経験し得ないことにも出合えておもしろい」