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イメージと彫刻のあいだはすべて「写真」だ 写真家が油彩画を手がける理由

アートな土曜日

2019/01/26
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 会場のギャラリーに足を踏み入れると、まずは鮮やかな色合いの油彩画が目に飛び込む。緑豊かな戸外を描いた絵の中の日差しがずいぶん強そうなのは、絵画のモチーフとなった風景が開放的な米国ポートランドのものだからか。

 絵画の隣には、モノクロの抽象的な画面を持った作品が掛かる。入り組んだたくさんの線は躍動感にあふれている。見入っていると、じわじわと何かのカタチが見えてくる。ある時点で、隣にある油彩画の絵柄と同じだということに気づき驚いてしまう。どうやらこれは、絵画と同じモチーフを木版画にしてあるのだった。

 油彩画と木版画の組み合わせが幾枚も並び構成された展示は、東京・東神田のTARO NASUギャラリーでの、高木こずえ「プレリュード」展。

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©Cozue Takagi
Courtesy of TARO NASU
Photo by Kei OKANO

写真で知られるアーティストが、なぜ油彩画と木版画を?

 長野県に住んで創作を続けている高木こずえは、もともと写真を用いた作品で知られるアーティスト。彼女を知る人なら、個展と聞いて写真が並ぶ様子をまずは想像するだろうけれど、今回はそうなっていない。なぜ油彩画と木版画なのか。制作ジャンルを転換したのだろうか?

 いや、そんなことはない。アーティスト本人に言わせれば、これも写真であるのだという。どんな理屈かといえば、高木こずえにとって写真とは、紙焼きになったりモニターに映し出されたモノやイメージのことではなく、写真的イメージをつくろうとする制作行為そのものである。

 今回展示されている絵画や版画は、自分自身がポートランドで撮ったスナップショットをもとにして、描き起こされたり彫り込まれたりしている。写真に端を発して、それをよくよく眺めながら、かたちを変形させていって出来上がったのが今作なのだから、たまたま最終形態が油絵や版画になったとはいえ、彼女がしていたことはあくまでも写真行為だったというわけだ。