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少年野球の練習風景で思い出した「頑張れば、できる」という亡霊のような何か

なんだろう、この胸の痛みは

2019/02/02
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説明している私が一番納得していないわけですが

 まあ、指導法の良し悪しはともかく老人コーチたちの反応は納得できないものばかりでもないのです。「真面目にやらないと怪我するよ」「一度、真剣にやった経験があれば、次からも真剣にできるようになるから」などなど。老人コーチは「あんまり押し付けるといまの子供はやる気なくしちゃうからね。少し配慮しますよ」というので、私は引き下がりました。

 集まる保護者たちには事情を説明し、コーチたちも考えのあってのことのようなので、との内容で納得していました。説明している私が一番納得していないわけですが、せっかくの合同練習だし、気まずい雰囲気にしてもどうかと思い、黙っておりました。

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ジジイども、謀ったな!

 ところが……。休憩終わってからは、気のせいか、さっきよりマッハでビシビシ指導の声が飛んでいるように思うわけです。ジジイども、謀ったな。日ごろ穏やかで温厚な人柄で知られる私もさすがに怒りゲージの上昇を感じます。せいぜい前半後半40分程度の練習とはいえ、小学生には厳しいのです。緩い内野のノックを順番にやる、でもすでにへとへとになっている子供が打球の正面に入らずバックハンドで取りに行ったとき、老人コーチから「ゴロの正面に回れって言ったろう!」と叱責が飛ぶんです。「やりなおし!」。

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 上手くいかなくて座り込む見知らぬ子に対し、そこまでやらせるのはどうなのかと思うわけですよ。「ゴロの正面に回る」意味の理解もさることながら、どういうステップを踏めば正面に行けるのか、教えなければ子供に分かるはずがない。苦渋の表情を浮かべる子供たち。なあ、逃げて、いいんだよ。ものすごく、悩みます。そういう苦しいのを経験するのも練習だと割り切らせるべきなのか。それで上手くなるの。野球がもっと好きになるの。これを強いることが、子供の成長に繋がるのだろうか。

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 一方、目を転じると我が子たちは「少し太っているから」という理由でブルペン近くでキャッチャーをやらされていました。えー。あー、うん。まあご多分に漏れず、キャッチャーというのは不人気ポジションではあるのですが、まさか我が兄弟が揃ってちっちゃいキャッチャーミット借りて、見よう見まねでしゃがんでボールを受けています。小さい、丸い背中。

 まあ、何事も経験ですわ。表情は見えないけど、楽しそうにやっているしいいかな。と思ったら、ちょっと目を離している隙に、動きの悪い子どもたちが何かやらかしたのか、コーチと子供たちが輪になって何か公開説教みたいなモードになっております。