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2019/02/10

駅伝を経験して、すごく楽しかったことが記憶に残った

「両親や地元の同級生には、『本当にお前が箱根を走れるとは思わなかった』と言われました(笑)。4年間の大学陸上生活で僕自身は全部、出し切ることができたと思っています。やり残したことはないと言えるくらいに」

 鈴木はそう言って、年始の喧騒を振り返る。

 青森出身の鈴木が陸上競技を始めたのは中学時代。小学校では野球をやっていたものの、中学では「顧問の先生と先輩が怖そうで」野球は断念。走るのが好きだったこともあり、陸上部の門を叩いたという。

「中学時代もそんなに強かったわけでもなく、県大会にも出られませんでした。でも、中学時代に駅伝を経験して、すごく楽しかったことが記憶に残ったんです。『高校でもみんなとチームを組んで駅伝で他校と戦えたら楽しそうだな』と思って、進学しても続けようと思いました。陸上競技というより、駅伝が好きだった感じですね」

2018年10月に行われた箱根駅伝予選会にて ©末永裕樹/文藝春秋

 そんな気持ちが原動力となり、高校でも競技を続けた。とはいえ進学先は普通の公立高校。顧問の先生も長距離経験者ではなく、朝練はナシ。日々のメニューも相談しながら作っていたという。

「駅伝が好きだったこともあって箱根駅伝は見ていて、出たいという気持ちはもちろんありました。僕は全国大会も出ていないし、記録も全然持っていないし、レベルの違いはあったはずなんですけど、高校時代はむしろそれすらよく分かっていなかったんですよね。青森からも何人か箱根を走っている選手もいたので、『まぁ大学で走れば出られるんじゃないかな』くらいに思っていました(笑)。そういう変な自信は最後までありましたね」

それでも本戦に出られない

 そうして大学進学を控えた鈴木は、地元の国公立大学に進学するか、夢の箱根を目指して関東の私立大学に行くか、決断を迫られた。だが、当然ながら鈴木のタイムではスポーツ推薦の話はどこの大学からも来なかった。

 それでも鈴木には「変な自信」があった。箱根を目指すと決めるのに、そう時間はかからなかったという。そうして先輩に進学実績があり、チームで箱根出場を目指せる平成国際大を進学先に選んだ。

 

 だが、そんな思いで入学した大学で、鈴木は箱根駅伝の「現実」を思い知ることになる。

「自分は入った時に15分46秒という記録しか持っていなかったですけど、速い同期はゴロゴロいたんです。先輩たちももちろん強くて、持ちタイムも自分より1分以上速い。そんな選手がたくさんいるのに、それでも本戦に出られない。こんなに箱根ってレベルが高いのか、本当に死ぬ気でやらないと、夢舞台は全然遠いんだなという現実は、入ってすぐに痛感しました」