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中日・小林正人広報が語る、2人のレジェンド・岩瀬仁紀と浅尾拓也の凄み

文春野球コラム オープン戦2019

2019/02/12

誰よりも責任感が強い浅尾拓也の凄さ

――続いて浅尾さんについてお聞きします。浅尾さんが入団したのは2006年のオフで、小林さんはもう一軍で活躍されていました。小林さんは浅尾さんにどのような印象を抱きましたか?

小林 キャンプで一軍に来たとき、打撃投手でいきなり147~8キロを出したと聞いて、「すごいな」と思いました。ただ、入団してきたときの浅尾はちょっとピュアというか、人間的に面白いところが多くて、野球のことよりそっちの印象が強かったですね。愛すべき可愛い後輩でした。

――愛すべき後輩だった浅尾さんが、その後、大車輪の活躍をするようになります。小林さんの中でイメージが変わったタイミングはどのあたりですか?

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小林 やっぱりセットアッパーとして7回、8回を投げるようになったときですね。後ろを投げる怖さとか、背負うものを本人が意識するようになって、どんどん変わっていきました。さっきも言いましたが、「他人の人生を背負って投げる」ことがわかったのだと思います。

小林広報にとって「愛すべき後輩」だった浅尾拓也 ©文藝春秋

――浅尾さんが2011年にMVPを獲得したとき、真っ先に吉見一起投手の勝ち星を消してしまった話をしていたのが印象的でした。

小林 そういう風に感じられるようになったので、浅尾はあそこまで活躍できたのだと僕は思います。彼はチームのことや他人のことをすごく考える人間なんです。自分が一番抑えられるのなら、チームのために何試合でも投げる。セットアッパーは1点ビハインドでも行かなければいけないことがありますからね。

――リリーフは回跨ぎが難しいと言われていますが、浅尾さんはどんどん回を跨いで投げていた印象があります。

小林 僕自身はあまり回跨ぎで投げたことがないので、身体にどんな負担がかかるのかわかりませんが、気持ち的には一度上げたものがフッと下がるので、もう一度上げるのは難しいと思います。浅尾にそれができたのは、チームのために投げる責任感がすごく強かったからでしょう。「(次の回)どうする?」と言われたら、絶対に「行きます」と言うタイプでしたからね。浅尾の凄いところは責任感の強さだと思います。

 あと、恐怖心と戦う気持ちが凄く強かった。僕がブルペンでマウンドに向かう浅尾に「力水」を渡していたのですが、水を受け取る彼の手が震えているんですよ。一軍で投げはじめた頃の話じゃなく、2010年、2011年の連覇した年もずっとです。

――えーっ! MVPを獲った年もですか……。

小林 自分が登板する場所の怖さをよく知っているんでしょうね。だけど、マウンドに行くまでに覚悟を決めて出ていくんです。一度、あまりに手が震えていて、浅尾が自分でクスッと笑ったことすらありましたから。だけど、マウンドに立つと落ち着いて凄いピッチングを見せる。躍動感はありますが、淡々と抑える。回跨ぎもいとわない。

――浅尾さんは二軍のコーチに就任されましたが、どんなことを若手選手に伝えていってほしいと思われますか?

小林 それはもう経験全部ですね。浅尾は栄光も挫折も知っています。特に最後の何年間かは本当に苦しい思いを味わっていました。「自分たちが頑張れば、こんなに素晴らしいことが待っているよ」ということを教えてほしいですし、苦しんでいる選手には自分の経験を伝えてほしいと思います。マウンドへ行くときの経験も教えられますし、一軍から落ちてきた投手と話したりもするでしょう。先発もした、セットアッパーもした、活躍もした、ケガもした。それをいろいろな境遇の若手選手にそれぞれ伝えていってほしいですね。

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