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連続インタビュー
おしえて、ウェブのセンパイ! 4人が語るオンラインメディアの現在とこれから

柳瀬 徹
2017/01/30

「伊勢丹に行くたびに、負けられないなって思うんです」みたいな

デイリーポータルZ編集長 林雄司さん #3

 スタートから14年。オンラインメディアの老舗でもある「デイリーポータルZ」ですが、「妄想彼女シリーズ」「ガスター10の文字が飛び出す服を作る」など、独自の路線は不動です。編集長の林雄司さんに、草創期のお話から「予算獲得」のコツまで、ビジネスな感じを伺ってみました。

――林さんのプロフィールによれば、1993年に富士通の子会社ジー・サーチに入社されて、99年に出向でニフティに移られたんですね。翌年にジー・サーチへ戻るように命じられて、自らニフティへの転籍を申し出た、と。ところがニフティでの旅行サイト制作業務が嫌になって、「この業務はやめさせてください」と言ったら本当に仕事がなくなってしまったと。

 

 2002年にデイリーポータルZを立ち上げて、2001年からはその準備をしていたんですけど、それまでの1年くらいは仕事がなくなってしまって、ぼうっとしてましたね。

――それってイヤじゃなかったんですか?

 イヤでしたよ(笑)。

――ご自身のホームページ「Webやぎの目」から『死ぬかと思った』が書籍化されたのが2000年ですよね。会社を辞めてもライターとしてやっていける自信もあったのでは?

 仕事がないといっても、簡単な仕事は割り振られていたので、淡々とこなしていました。あとは『死ぬかと思った』が出るところだったので、会社でもずっとその編集をしていましたけど、これって絶対に言っちゃいけないことですよね(笑)。「なんかずっとできるわー」と思いながらやってました。

 フリーになることを考えなくもなかったんですけど、「辞めても食っていけるぞ」とちょっとでも思えれば、勤めを続けながら自由なことも、思い切ったこともできるんじゃないかなと思ったんですよね。会社のお金で「デイリーポータルZを作りたいです」「200万円で、でかいガチャガチャ作りたいです」とか頼んでみて、そんなこと止めろって言われれば「ハイ」でいいかな、って。なめてますよね(笑)。

 

 ニフティは自由な会社だし、いつでもクビになる覚悟があるのなら、ふてくされて辞めていくよりも「やりたい」と言ったほうがいい、それでもダメなら辞めて自分でやればいいやって思っていました。

 それに『死ぬかと思った』が思いのほか売れて、ライター仕事と会社の仕事を並行して始めてみると、夜も土日もぜんぶ働くことになってしまって、すごく大変でした。会社員なら打ち合わせも撮影も、場所がタダで使えますけど、フリーはそれだけで金かかりますからね。会社で出世したほうが儲かりそうなんで、出世しようと思うにいたりました(笑)。

 

 今でも、デイリーポータルZで大きな企画をやろうとすると、「クラウドファンディングがいいんじゃないか」って勧めてくれる人もいるんですけど、会社には「稟議」というもっと手っ取り早くお金がもらえる方法があるんです。だったら稟議書書くわ、って思いますよね。稟議最高です(笑)。

――2、3年前までは「デイリーポータルZなんて止めろ」という社内の声もあったとか。

 今ねえ、ビックリするほどないんですよ。おかしいですよね。ないと不安になるんですけど、徐々になくなってますよね。

――それは収益が上がっているからなんですか?

 あ、でも全体では相変わらず赤字です。制作費だけで考えれば黒字なんですけど、われわれ社員の人件費まで含めれば。「ブランドデザイン部」という部署なので、ニフティのブランドを広めるための活動をしていればいいということにはなっていますけど。

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