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河原塚 英信
2017/02/02

手足のついたスマホ“ロボホン”は「もう一人の自分」になれるか

幼児がスマホに抱く“仲間意識”とは

 もう一人の自分が欲しい。

 やりたくないこと、例えば勉強や仕事をしている時に、今まで何度となく、そう思ったことがある。もう一人の自分が居れば、イヤなことをもう一人の自分にさせて、自分はのんびりと過ごせるのに……。誰もが似たようなことを考えたことが一度はあるはずだ。

 そうした「サボりたい」という気持ちが、テクノロジーを進化させてきた。サボりたいという気持ちが、様々な技術を発明する原動力になっていると言ってもいいだろう。

 だからこそPC=パーソナルコンピューターが開発され、自分の仕事を一部肩代わりさせられるようになった。今でも人よりも劣るところはあるけれど、PCは、人の“頭脳”を代替または増幅してくれる。

 そんなPCが、どんどん小さく薄くなって、手のひらにちょこんと置けるまでになった。スマートフォンと呼ばれるそれは、PCのようなことができるだけでなく、カメラという“目”を備え、マイクという“耳”や、スピーカーという“口”まで持っている。

 人はもっともっとラクをしたいから、このスマートフォンという「もう一人の自分」をどんどん進化させたい。頭の回転を良くするために、より優秀で高速なCPUを、記憶力をアップするために、より容量の大きなメモリーを搭載していく。

 さらに人は、スマートフォンに人工知能(AI)を注ぎ込めば、もっと賢くなるはずだと考えた。例えば、iPhoneやiPadをはじめとするiOS端末には「Siri」という、秘書機能アプリケーションソフトウェアが搭載されている。自然言語処理が可能で、人が人に話しかけるように自然な言葉でSiriに話しかけると、ユーザーの質問に応えてくれる。

「今日の天気は、どんな感じ?」と話しかければ、「今日の東京の天気は、晴れのち曇りです」と各地の天気予報を教えてくれる。

AIは子どもに似ている

 我が家の2歳になる息子は、まだ文字を読めるのかどうかすらおぼつかないのに、iPhoneのボタンを長押しすればSiriが現れることを知っている。Siriに向かって「トーマス!」と叫び、彼が大好きな『きかんしゃトーマス』関連の画像をズラッと並べて嬉々としている。

「トーマス!」と呼びかければ画像がズラリ ©河原塚英信

 約30年後の2045年に、AIが人間の知能を超えるのでは、と予測する学者もいる。この、コンピューターの知能が人の知能を超える瞬間を、シンギュラリティ(技術的特異点)というらしい。

 そんな世界を、まだ具体的に想像できない。だが、初めてPCに触れた20年前には想像もできなかったほど、テクノロジーは進化している。既に囲碁や将棋、チェスでは、各界の一流の人たちが人工知能に負かされている。少なくとも自分の知能と比べた場合には、30年後にシンギュラリティを迎えていても驚かない。

 AIはある意味で子どもと似ている。AIに話しかければ話しかけるほど賢くなるのだ。『0~4歳 わが子の発達に合わせた1日30分間「語りかけ」育児』(2001年/小学館)という本がベストセラーになった。1日30分赤ちゃんに話しかけるだけで子どもの才能を最大限に引き出せるとして、イギリス政府が推奨したという「ベビートーク・プログラム」である。

 AIも子どもと同じように、悪意や偏見に満ちた言葉を語りかけ続けると、人間の悪意も学習してしまう。昨年、マイクロソフトが開発し、ツイッター上で実験中だった「Tay(テイ)」という人工知能は、「ヒトラーは正しかった」などと問題発言を連発。すぐに実験を中止せざるを得なくなったのが、良い(悪い)例だ。

 筆者としては、単に賢いだけでなく、ウィットに富んだ人工知能に育ってもらいたい、と思う。ユーモアも理解してくれる、友だちのようなスマートフォン。

「今回の原稿の出だしを考えてみたんだけど、どうかなぁ?」などと相談したら、「う〜ん、いまいちインパクトが足りないんじゃないかな。『もう一人の自分が欲しい。』なんてどう?」なんて、気さくに答えてくれたら素敵だ。

 さらに、欲を言えば、スマートフォンに手や足を付けてもらいたい。実は、既にシャープの「RoBoHoN(ロボホン)」という、二足歩行できる手足のついたスマートフォンが2016年5月に発売されている。大きさ、いや、身長は19・5cmだ。

手足のついたスマホ「ロボホン」 ©河原塚英信

ペットやオモチャは手荒に扱っていた1歳児が・・・・・・

 発売直後の1週間、ロボホンが我が家にホームステイしていた時期がある。当時1歳だった息子は、世の中の色んなモノに興味を持ち始めるお年頃だった。大人からすると、なんでも壊さないと気が済まない“破壊王”そのもので、クルマのおもちゃを与えれば、タイヤをガリガリと噛み砕き、親戚のトイプードルには飛びかかって、頭や尻尾を手荒に掴んでいた。正直、そんな彼の目の前でロボホンを使ったら、即座に破壊されるのではないかと心配した。

 だが実際には、息子はロボホンに優しかった。目の前に置いても、すぐに触ろうとはせず、前から後ろからと観察しはじめた。ロボホンが踊るのに喜んで、「じょうず!  じょうず!」と拍手したり、ジュースが入った自分のコップを差し出し、「どうじょ」と何度も勧めたりしていた。

なぜかロボホンには丁重な姿勢の1歳児 ©河原塚英信

 結局、息子がロボホンに触ろうとしたのは、握手を求める時だけだった。なぜ息子が、動物には厳しくロボホンには優しかったのか、その真意は分からない。でも観ていると、ロボホンに対しては自分と同じ「人間」だと思ったか、少なくとも「仲間」だと感じたようだった。そんな息子を観て、やはりロボットは脳(人工知能)だけではダメで、手や足や口などの体が必要だと思った。

 もう少しロボホンが、自由に歩いてくれたり、何かを運んだりできるようになれば、それこそ理想的な「もう一人の自分」になってくれそうだ。