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積極的平和主義を考える 8・15 安倍談話が語るべきこと

総力戦の敗戦国となった経験を普遍的な言葉で語ることが求められている

2015/03/05
note

 節目の年にこそ、戦争の責任を背負うということの本質と向き合うべきです。日本は、先の大戦についての責任を引き受けた上で、戦後歩んだ平和主義の成果を語るのでしょうか。それとも、責任を引き受けることを拒否し、その正当性について国際社会の「説得」に努めるのでしょうか。

 歴史学という学問の世界においてならいざ知らず、国際政治の現実として後者を採用することは不可能であり、戦略として破綻しています。かつての連合国にとっては第二次世界大戦をめぐる物語には国是に近い重要性があり、説得の対象ではそもそもないからです。ファシストと戦ったという物語は、現実の国際政治において複雑な利害関係にある中国やロシアやアメリカが一致できる数少ないテーマです。対日共闘が成立し得る論点をわざわざ持ち出して、一生懸命説得に努めるのでしょうか。そんなことをしても日本が孤立しほかの外交分野でも各国が協力してくれなくなるだけですので、さすがにそれはありえないでしょう。したがって、我々は前者の道を選択せざるを得ないのです。だからと言って、悪魔化された言説をそのまま受け入れる必要はありません。

 戦争責任についてはこれまで無数の論考が提供されてきましたが、もっとも私が本質的だと考えるのは、「攻撃的戦争」(aggressive war)、つまり先に大規模な武力攻撃を仕掛けた責任です。第一次世界大戦後、世界は攻撃的戦争を違法化する努力を重ねました。ドイツ皇帝の開戦責任を議論する過程で国際法の俎上に載せられたその試みは、国際連盟や不戦条約という形で結実します。もちろん、主要国が不参加であり、欧米の植民地を不問に付したことは、国際法的にも、道義的にもこれらの成果が些(いささ)か不完全なものであったことを物語ってはいます。

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 しかし、第二次世界大戦後にニュルンベルク裁判と東京裁判において攻撃的戦争についての「罪」が問われたとき、それは完全な事後法であってまったく正当性を欠くものであったとは言えません。国際社会が攻撃的戦争を違法化する努力を重ねていたことは明確で、歴史的事実としてドイツと日本が先に攻撃を仕掛けたことは争う余地がないからです。国際社会における国際法の形成というのは、そもそも本質的にあいまいで不完全なものですから、その意味でも、日本の責任は免れ得ないでしょう。

 では、責任は存在するとして、その責任は時間的にどこまで及ぶのかというのが次なる論点です。七〇年という月日は、具体的な人間に着目する限り、責任の観念を奪い去るのに十分な時間だからです。真正な責任が成立する前提は、真正な不正義への参加です。それがない者の謝罪や責任の引き受けには、どうしても不誠実さが宿っています。

 仮に、我々の祖先が行ったことであっても、子や孫が真正な責任を引き受けることはできません。それでも引き受けるというならば、それは異なる政治的動機に基づいてするものであるか、謝った方が波風立たないからという理由でする方便でしかない。今なお、具体的な責任を追及する隣国に対しては、我々が日本人として当然負うべき責任としてではなく、今なお苦しむ人が存在することへの人道的な見地から対応すればよいのです。それには日本国内で、過酷な状況におかれたり過去のトラウマに苦しむ人々に対する共感や同情が世論に広まり、それに基づき官民で積極的な人道支援を行っていくということがあるべきかたちです。また、勝った側は世代を超えて戦争を美化しがちですので、日本人には攻撃国かつ敗戦国としての歴史を学んで国際的に伝える特別な責務があると解すべきでしょう。

 三つ目の論点は、責任を引き受けるべき主体は誰かという点です。国際政治において戦争に関する責任が云々されるとき、責任を負うべき主体は、その国の現在の国民であることが前提とされています。しかし、七〇年という年月を経た今日において、その前提を当然視することには疑問があります。繰り返しますが、子や孫が当人の関与していない親や祖父母の行った不正義の責任をとることはできないからです。

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