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特集
芥川賞直木賞 作家の素顔 受賞者、候補者、選考委員。それぞれのドラマ

新・選考委員吉田修一が語る「文学の図太さ」【後編】

純文学とエンターテインメントとの間にある緊張感

――吉田さんの場合は、(芥川賞)4回目の候補と5回目の候補の間に、『パレード』での山本周五郎賞受賞(2002年)がありましたよね。この時、山田詠美さんが一番推されていました。山田さんは純文学から出発されて直木賞を受賞されたということと、文學界新人賞の時の選考委員だったということから、吉田さんの背中を押したいという気持ちもおありになったのかなという気もします。吉田さんご自身は、山田さんに山周賞に推されたということが、その後につながったという感じはありますか?

吉田 人生変わりましたからね。僕自身は、いわゆるエンターテインメントを書こうと思ってあの作品を書いたわけではなかったんですが、評価というのは自分では決められないと、あの時身を以て体験しました。世の中、もしくは文学賞というのには、大きな流れというのがあるんだなとも思いました。受賞は本当に、ありがたかったですよ。今はそうでもないですが、当時はまだ、純文学とエンタメの境がはっきり分かれていた。だから、同じ出版社でも担当の方が純文学系とエンタメ系で一人ずつついてくれたんです。さらに雑誌と単行本の担当の方がいるから都合4人いて。すると、同じ社とはいえ、やっぱり気風が違うんですよね。  

 僕は、純文学とエンタメがクロスオーバーする最近の風潮それ自体はいいと思っているんですけれども、新喜楽の1階(芥川賞)と2階(直木賞)の階段じゃないですけど、お互いを行き来する時は、作家も編集者も緊張感を持った方が良いと思っています。山周賞を受賞した時に、はじめてその違いがはっきり分かりました。例えば「文學界」で書く時は、担当の編集者は基本的に「削ってください」なんです。でも「オール讀物」ならきっと「プラスしてください」。それはたぶん、それぞれの担当者が上の方から教わってきたその雑誌なりのやり方でしょう。純文学は削っていく作業で、エンタメはいい意味で足していく作業。「編集者のアプローチの仕方が、まずこんなに違うんだ」っていうことは、もし両方をやってなかったらたぶん気づいていない。それを、ごっちゃになったままに書くと、気づけないままだと思うんです。今回の「縫わんばならん」ならば、もっと削ればよかったのかもしれない。逆にもっと話を膨らませて、もしかしたら直木賞(の方向)を狙うべきなのかもしれない。書き手はまだ若い方だから、そこを知ってると知らないでは全然違うんだろうな、という感じがします。だから、互いの行き来は自由ですが、部屋は1階と2階で二つあるほうがいいと本当に思います。(芥川直木両方の選考委員を合わせて)19人で一作なんて絶対決めちゃいけないと思います。

初めて講評する吉田氏 ©文藝春秋

――2階で選ばれた山田詠美さんが選考委員として1階にいらっしゃることも、本当に面白いですよね。

吉田 そう思います。逆のパターンもあるだろうし。いつだったか誰かに、「吉田さんとか角田(光代)さんあたりから純文学とエンタメの境がゴチャゴチャですよ」みたいなことを言われたことがありました。角田さんも僕と同世代で、両方知っている方ですよね。新喜楽で2階にあいさつに行く時に、急な階段があるんですけど、なにか境界線を感じます。(上がるのに)覚悟が要るんです。上下関係はないんですよ。ちょっと大げさに言うと、僕が芥川賞の新しい選考委員としてあいさつに行くときは、純文学をいちおう背負っている。小説を書く時も一緒だと思います。僕は文學界新人賞をもらってデビューしているので、もしエンターテインメントと言われる場所で何かを書くのであれば、階段を上がる時と同じような気持ちで行くべきだと思う。逆に、例えば2階にいらっしゃる方が文芸誌に何か書く時は、同じようにプライドを持ってこっちで勝負する気概みたいなものがあると思うんです。それがあの階段を上り下りするときに、感じたことでした。緊張感があるからこそ行き来が楽しい。ここから向こうに行くとか、向こうからこっちに来るっていう、それがなくなるのもちょっと寂しいものだなという気はしますね。

遠くを見て選ぶ

――最初の選評をお書きになられていかがでしたか。  

吉田 文學界新人賞の時と、書き方としてはあんまり変わってないですね。ただ、芥川賞の場合は候補者は皆さんすでにデビューされているし、活躍している方たちなので、文學界の時みたいに完全にバツという作品はないぐらいの差でしょうか。そういう意味では、単にいいか悪いかを判断するというよりは、もうちょっと読者目線寄りになったでしょうか。特に「ビニール傘」の岸さんの選評は、選考会の時はあんまり意識してなかったですけど、「岸さんがどうせ小説を書くなら、もうちょっと残酷なものを読みたい」みたいなことを書きました。

――選ぶ側に回られた吉田さんにとっての芥川賞というのは、どういうものでしょうか。

吉田 せっかく選んでもらったので、できるだけ続けていきたいなと思っています。大げさにいえば、ここで死んでやろうくらいの気持ちですよ。だって、これまでの先輩方だって、病気になろうが、足腰立たなくなろうが、半年に一度は這ってでもここへきて、「マル」とか「バツ」とか言ってきたわけじゃないですか。そうやって作家の生き様を見せてきたわけでしょう。あと、他の先輩方のように遠くを見て何かを選ぶことができるようになれば、自分の書くものも自ずと変わってくると思うんです。これまで、それこそ僕が河野さんや三浦さんにずっと言われていた「何か足りない、何か足りない」っていうのは、もしかしたらそれなのかもしれない。先輩から後輩を見ると、「視野が狭い」とどうしても言いたくなるものでしょう。若い時には「何言ってるんだろう」と思っていたけど、実際に遠くを見て歩いている人を目の当たりにすると、「こういう歩き方をしたら景色も全然違うんだろう」とも思えました。それで自分の書く作品が、また違ってくるとうれしいですね。


(一月二十五日収録)

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