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「163キロ投手の肘のダメージは未知数」大船渡佐々木・登板回避に元日本代表クローザーは「英断だった」

大船渡・佐々木問題を考える #3

source : 週刊文春デジタル

genre : エンタメ, スポーツ, 社会

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 大船渡高校・佐々木朗希(ろうき・3年)投手の登板回避問題。準決勝までの4試合で435球を投げた佐々木投手に国保陽平監督(32)が下した判断は、疲労の蓄積と故障防止を考慮しての「欠場」だった。

大船渡・佐々木投手 ©共同通信社

「チームの甲子園出場がかかっていたわけですから、苦渋の決断だったと思います。でも、“十年に一度の逸材”を預かる指導者として、英断を下したのだと思います」

 そう語るのは、かつて日本を代表するクローザーとして活躍した元福岡ソフトバンクホークスの馬原孝浩氏(まはらたかひろ・37)だ。熊本市立高校(現・熊本市立必由館高等学校)から九州共立大に進み、2004年に福岡ダイエーホークスに入団。最速158キロの剛速球と鋭く落ちるフォークボールを武器に、絶対的なストッパーとして活躍した。だが右肩を故障し、2012年に手術を受ける。それでもかつての速球は戻ることなく、2015年をもって現役を引退することになったのだ。

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ホークス時代の馬原氏 ©文藝春秋

 馬原氏は引退後、九州医療スポーツ専門学校で3年間学び、今年3月に柔道整復師、鍼灸師の国家資格を取得した。現在はセミナーや講演、解説、野球教室などを行いながら、オフにはプロ野球選手の自主トレで指導もしているという。

土日に試合で“4完投”していた高校時代

 馬原氏が高校球児だった頃は「球数制限など無関係な時代でした」と話す。

「高校時代は火曜水曜で500球。木曜金曜で500球という投げ込みのノルマがありました。その上で、土日の試合で“4完投”していました。肩は消耗品ですが、『それで壊れたら自分の責任』という時代だった。

 今ではスポーツ医学もだいぶ進みました。高校野球でも球数制限はもちろんあっていいと思います。高校生なら1日休めば回復は全然違います。登板間隔を空けることができれば問題ありませんが、準決勝、決勝と進んで試合間隔が詰まってくれば、そうもいかない。その際に判断基準となるのは、やはり『投球数』です。まだ18歳で成長過程にある彼が、準決勝で129球、4回戦では194球を投げているわけですから、監督はその『投球数』から欠場を判断したのだろうと思います。