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メディアにいる人ほどメディアのブランド価値を誤解している

ドリルと穴と文春と

山本 一郎 2017/02/09

ドリルを買うユーザーはドリルではなく、穴を欲しがっている

 マーケティングの世界では使い古されている言葉として「ユーザーは体験を買っている」という話がありますね。適例のひとつとして「ドリルを買うユーザーはドリルではなく、穴を欲しがっている」という奴があります。ただドリルはドリルでフェチいるかもしれんのですよね。貴様、ドリル愛好家なめんな。ドリル大好きっ子が世界に千万人ぐらいいるかもしれないだろ。

 つまり、何らか体験なり機能なりを買いたいので人は消費行動を起こすのだという話です。先日、元東洋経済オンライン、いまはNewsPicksのオールバック総裁として名高い佐々木紀彦さんや、スマートニュースで唯一の大人とまで言われていた藤村厚夫さんに当の文春オンラインが教えを乞う連載があったんで「何をしているんだろう」と思って読んでみたんですよ。

 そしたらですね、まあある種のミスマッチというか、茶道を習いに行ったら柔道家が出てきた、みたいな状況になっておったわけですよ。文春オンラインとNewsPicks両者に共通しているのは「ネットでコンテンツ商売をしている」というだけであって、いうならば茶道も柔道も道だし畳の上だからきっと参考になるものはあるだろうぐらいのネタです。

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 メディアビジネスにおいて決定的に違う部分を無視してコンテンツを語るのは結構危険だと思うんですよ。NewsPicksというプラットフォーム事業者は文春やヤフーその他ウェブに転がっているコンテンツをユーザーが集めてきて、それを適切な読みやすい形で並べたり他人の意見を読ませて会員収入をかき集めるのが基本的なビジネスです。一方、文春というのは何となく歴史のありげな看板に裁判上等の編集部と百戦錬磨の記者を集め、際どい独自コンテンツを横に並べて世間様に対して砲撃し、当事者が微妙に隠しておきたい不都合な実態に光を浴びせて健全なジャーナリズムを展開して雑誌売り上げを積み上げウェブで有料購読者を集めたり広告を貼って読者を流し込もうという代物です。

 その意味では、週刊文春はただの「ドリル」にすぎません。何で週刊文春を読むのかと言われたら、実際には世間の気に入らない奴を文春が読者の代わりにゴシップネタ集めてきて裏取って本人に突撃取材して「弁護士を通せ」とか「書いたら法的措置を取る」などという警告を恐れず堂々と誌面に掲載し、早刷り読んだ関係者が右往左往して公式ホームページに「一部報道で」などと言い訳にもならない釈明をするのを見て世直しした文春万歳という気持ちを体験することで、ざまあみろという暖かい心情になれて今日も一日頑張ろうという気持ちにしてくれるのが文春であり、それはそれは見事な「穴」となるわけですよ。その世間様に対する穴の開き方が文春ブランドであるからこそ、ネットの時代になってオンラインに文春が出てきたので「おっ、文春がまた変な穴を開けようというのか、ちょっとみてやろうじゃないか」と野次馬が集まってきていまに至るという話です。

一つの仕組みには寿命があるということ

 文春オンラインは単に「ネットで週刊文春が読める」というだけでは読者の層がなかなか広がりません。そういう文春がもたらしてくれる素敵な体験を知っている人であれば、すんなりと「お、スマホで読めるやんけ」となるでしょうが、オンライン媒体となると文春など接触したことも無いボーイズアンドガールズが相手になります。紙の雑誌とネットにつながったスマホの画面は、ユーザーの目玉の奪い合いです。どっちにしろ、通勤途上で満員電車に揺られてやることなくてスマホで読んでる男女か、トイレで踏ん張ってるところで読んでる男女か、寝る前に時間持て余してゴロゴロしながら読んでる男女か、昼飯や晩飯を一人で食っててテレビ代わりに読んでる男女ぐらいしかおらんのです。そこへ、いろんなコンテンツを横に並べて体験品評会をする、いわば百貨店のようなプラットフォーム事業者と、文春のような看板と体験でブランド価値を築いている老舗専門店とでは、戦い方が根本から異なると言ってもいいでしょう。

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©iStock.com

 数多あるメディアの看板からなぜわざわざ文春を選んで読むのかといえば、文春というブランドに対する信頼とか、体験に対する安心感みたいなもんです。ネットでニュースを読む人というのは、文春に限らず世間に対する興味も関心もあって、理解力もあるリテラシーを持った読者ですよ。「穴」を求めてネットを彷徨っている類の。安くもないスマホ買って、わざわざ通信料払って、何をしているのかといえば文春の記事読んでるとかおめでてーな。本稿をお読みいただきありがとうございます。いうなれば、高等遊民であり、情報の確保にお金をかけているリテラシーのある人ということですよ。

 しかし、そういう穴ブランドである文春と言えども時間が経てば、読者と一緒に年を取る。これはもう宿命です。化粧品ブランドも住宅地も流行も芸能人も、旬というのがあって、その旬を一緒に体験した人たちが長くファンになるけれど、何十年も経てば若さを失い色褪せて、限界集落のように消滅していく運命にあるのです。いまの若い人にサザンオールスターズとか言ってもカラオケですら知らないでしょうし、少し前は若い人が夢中になったニコニコ動画もスマホ対応の遅れで見放されるとあっという間にオワコン扱いになっていく。時代の流れは残酷だというよりは、ひとつの仕組みには寿命があって、時代に併せて新しい仕組み、次なる読者を狙う仕組みがないとあっという間にすたれて埋没してしまうリスクがあるのだろうと感じます。

 文藝春秋本誌だって、いきなり特集が「大女優9人が語る昭和の映画」ですよ。何ですか、そのリタイヤ組が中華料理屋で同窓会やっているような企画は。完全に若い読者捨てにかかってるでしょ。昭和48年生まれの私でさえ正直、寅さんぐらいしか分からん。