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顔は怖いが後輩から愛された“角界の門番”時天空、逝く

「“昔のお相撲さん”というイメージで、勝負には厳しいけど、土俵を離れると思いやりのある……いい奴でした」
(ベテラン相撲記者)

 1月31日、元小結・時天空が悪性リンパ腫で逝去した。享年37。

多彩な足技で幕内通算431勝をあげた ©共同通信社

「支度部屋では、入り口のそばが指定席。門番みたいな存在で、そこで若手に挨拶させ、相撲界のしきたりを教えるんです。顔が怖くて、無口だから取っ付きにくいんだけど、面倒見が良くて、若い子に好かれてました」(同前)

 その経歴は、他のモンゴル人力士とは一線を画する。

 モンゴルの国立農業大学で学び、東農大に編入。将来はモンゴルで教職に就くつもりだったが、相撲部に入ると、1年時の全国学生体重別で優勝。入門の年齢制限ギリギリの大学3年時に角界に飛び込んだ。大学も夜間コースに通い続けて卒業した。

「頭のいい人でした」と語る別の相撲記者が印象的な場面として挙げたのは、アマ横綱として角界入りした遠藤との初対戦。まだザンバラ髪だった遠藤の顔を強烈に張ったのだ。

「そのことを報道陣に聞かれたら、平然と『張りましたけど、それが何か』(笑)。プロの厳しさを見せつけた言葉でした。ベラベラ喋る人じゃないけど、記者にも人気があった」(同前)

 一昨年の名古屋場所中に右脇腹の痛みを覚えた時点ではあばら骨のヒビと診断された。再検査で悪性リンパ腫と判明したものの、当初は病気を隠していたという。

「『若手に迷惑を掛けたくないから』と、部屋には夜中にやってきて、病院関係の書類などを片づけていました」(角界関係者)

 昨年8月に引退後は、部屋付きの間垣親方としての活動を始めていた。

「旭天鵬に次いで、モンゴルから帰化したのも、義理堅い男ですから、親方として相撲界に恩返しがしたかったんでしょう。入門時の師匠で大学の先輩でもある元大関・豊山さんから昔の力士の話を聞かされて、『若手の壁になりたいと思った』そうです」(前出・ベテラン記者)

 東農大と時津風部屋の後輩で、関脇の正代は、「今の僕があるのは天空関のお陰です」と故人を悼んだ。

 角界でもっとも愛されたモンゴル人力士の魂は、脈々と引き継がれている。