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芥川賞作家・山下澄人が語る 恩師、倉本聰に学んだ日々

「しょっちゅう怒られていました」

山下澄人さん

「東京のシアターコクーンでの公演が決まっていたのに、倉本さんに『態度が悪い』と直前に降ろされたんです」

 自身の富良野塾時代の経験を元にした青春小説「しんせかい」で芥川賞を受賞した山下澄人さん(51)が、恩師・倉本聰さんとの秘話の数々を、「文藝春秋」3月号のロングインタビューの中で明かした。

 山下さんは高校卒業後、たまたま自宅に誤配された新聞に挟まっていた「塾生募集」のチラシを目にし、何となく抱いていた俳優になりたいという思いから富良野塾の入塾試験を受けた。当時は、倉本さんの名前も知らなかったという。

「高倉健さん主演の映画『駅 STATION』などは見てはいましたが、脚本家が誰なのか気にして映画やドラマを見ていなかったので、名前も知らなかった。友人の家で寝そべって天井に貼ってあった『駅』のポスターを眺めていたら、見たことある名前があって驚いたくらいです。『俺、この人のところに行くねんけど』と言ったら、友人のほうが驚いていました」

 二期生として入った富良野塾では、寝泊りする施設もまだ十分には整備されておらず、まずは自分たちが住む家を建てなくてはいけない状況。朝から晩まで肉体労働をした後、夜に俳優の授業を受ける2年間だった。そんな生活の中、山下さんは倉本さんから目を付けられていた。

恩師の倉本聰氏 ©三浦英絵/文藝春秋

「とにかく『態度が悪い』『生意気だ』としょっちゅう怒られていました。サングラスをかけて屋外の作業をしていたら、怒った倉本さんに投げ捨てられたこともあった(笑)」

 ただ、倉本さんは、山下さんの演技だけは褒めたという。「しんせかい」では描かれていないが、塾生になって間もなく、北海道のテレビ局制作の単発ドラマにも出演を果たしている。

「(早々にテレビ出演を実現して)簡単やな、と(笑)。生意気ですよね。卒業してからも、ずっと富良野塾の公演に出してもらっていたのですが、とうとう27歳のときに降板させられた」

 それが冒頭のシアターコクーンの降板劇だ。しかし、倉本さんは、山下さんの立ち上げた劇団FICTIONの公演にも顔を出し、受賞作の単行本の題字も倉本さんの直筆。山下さんが19歳の頃から三十年以上続く師弟だけに、濃く深い信頼関係がうかがえる。

 インタビューでは、そのほかにも、山下さんの生い立ちからスマホでの執筆の秘密まで、ざっくばらんに語っている。

受賞会見で直木賞の恩田陸さんと ©山元茂樹/文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋」2017年3月特別号でご覧ください。