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折山 淑美
2017/02/16

羽生結弦が頂点を極めても「ハングリー」でいられる理由

ベテランスポーツライターを驚かせた羽生結弦の言葉

 羽生結弦の注目の復帰戦、「四大陸フィギュアスケート選手権2017」が2月16日~19日に開催される。来年の平昌オリンピックと同じ会場で開催されることから、五輪前哨戦と位置づけられる今大会。昨年、体調不良で全日本選手権を欠場した日本の絶対的エース、羽生結弦はどのような演技を見せるのか。五輪後も勝ち続ける「秘訣」とは。スポーツライターの折山淑美氏が、頂点に立つ22歳の軌跡を追った。(出典:文藝春秋2017年2月号・全2回)

 昨年12月にフランス・マルセイユで行われたフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで、羽生結弦(22)が前人未到の大会4連覇を果たした。

 初日のショートプログラム(SP)でほぼ完璧な演技を見せて首位に立つと、2日後のフリースケーティング(フリー)ではミスが相次いだものの、ネーサン・チェン(アメリカ)、宇野昌磨(中京大)ら勢いのある若手の追い上げから辛くも逃げ切った。

 ソチ五輪金メダリストでもあり、その後、何度も世界最高得点を更新する22歳は、冷静に大会を振り返った。

「目標にしていた4連覇を達成できたわけですし、結果に関してはすごく誇りを持てます。でも、演技自体には満足していません。やっぱりフリーの点数が3位というのは非常に悔しい……。SPでいい演技ができ、それなりの演技をすれば世界最高得点を狙えると思っていたので、自分の中は反省点だらけです」

 世界各地で開催され、合計6戦で争われるGPシリーズ。その成績上位6名のみが出場するGPファイナルは、シーズン前半の最大の山場。シーズン終盤の世界選手権と並び、世界一決定戦と言っていいだろう。日本勢では浅田真央、髙橋大輔らが過去に優勝をしているが、4連覇は史上初の快挙であり、羽生は通算優勝回数でもかつての“皇帝”エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)に並んだことになる。

 だが羽生にとっては、このGPファイナルは、勝利の喜びよりも「納得いく演技が出来なかった」という悔しさを募らせる大会と位置づけられたようだ。そして、勝利の直後でも向上心とハングリーさを持ち続けられる強靱なメンタルこそ、羽生結弦の強さの源泉なのだ。

絶対王者の存在

 2010年の世界ジュニア選手権を制覇した羽生は、翌シーズンから戦いの場をシニアへ移した。その当時から、しなやかで繊細な演技が魅力であり、ジャンプの美しさには定評があった。そして2011年には故郷・仙台で東日本大震災に被災し、「もうスケートはできないかと思った」と振り返るほどの辛い経験をしたことで、人間としても成長したのも間違いない。

 だが、羽生が五輪で頂点に立った後も勝ち続けられるような、独特のメンタルの強さを手に入れるまでには、他に3つのターニング・ポイントがあったと筆者は考えている。

手本にしたライバルのチャン

 絶対王者と言われたパトリック・チャン(カナダ)の存在、ソチ五輪での“悔しい”金メダル獲得、そして2014年中国杯での流血事故だ。

 デビュー当時から垣間見えていたメンタル面の強さに、「冷静さ」と「研究心」が付け加わったのが、ソチ五輪のあった2013-14シーズンだったといえる。

 前年からカナダの名門クリケット・クラブに拠点を移していた羽生は、バンクーバー五輪でキム・ヨナ(韓国)に金メダルをもたらしたブライアン・オーサーに師事し、その潜在能力を開花させつつあった。

 そしてあるライバル選手の存在が、大きな刺激を与えることになる。世界選手権3連覇中だったパトリック・チャンだ。GPファイナルでも2度優勝をしていたチャンは、スケーティング技術で世界一という評価を得ており、当時、大舞台で圧倒的な勝負強さを誇っていた。

 羽生はそのチャンと2013年のGPシリーズにおいて2戦連続で対戦。そして初戦のスケートカナダでは約27点、次のエリック・ボンパール杯では約32点という大差をつけられて、2戦連続2位に終わった。惨敗と言ってもいいだろう。

 だが、この連敗が羽生を変化させていく。特にチャンがエリック・ボンパール杯で見せた、SP、フリーともに当時の世界歴代最高得点を叩き出したミスのない演技は、「自分の実力を客観視するキッカケにもなった」という。

「パトリック選手のパーフェクトな演技には脱帽するしかありませんでした。でも、あの大会で自分とパトリック選手がともにパーフェクトな演技をしたときに、どのくらいの差があるかをハッキリとわかったことがとても大きかったです。あの時点では僕が約5点負けていました」

 自分がいくら完璧に滑ったとしても、ジャンプの難度や演技構成のレベルに差があり、相手がミスをしなければ負けてしまうという現実。それを結果という形で、まざまざと突きつけられたのだ。

「パトリック選手との差を埋めるためには、演技構成点を上げる必要がありました。そのために基礎となるスケーティングを見直したり、体力的にキツいプログラムを通した練習の中でも表現力を維持することを意識するようになった。さらにスピンやステップでも点数を取りつつ、ジャンプでもGOE(出来栄え)加点も伸ばそうと考えていました」

 具体的な点数を意識し、プログラムに戦略を持たせたことで、コーチのオーサーが課す高得点を取るための練習の意味も、より深く理解できるようになったという。

 また、試合でチャンの技術の高さを肌で感じるだけではなく、チャンが発する言葉からも自らの成長のヒントを得ていた。

 試合後の記者会見で、隣に座るチャンが記者に曲を表現するために心がけている体の使い方などを詳しく説明しているのを聞き、「自分の演技の参考になった」という。カナダに拠点を移して英語も学び始めていたことで、チャンと記者のやりとりも理解できたのだろう。

 当時羽生は19歳。筆者はフィギュアスケーターだけではなく、多くのアスリートを取材してきたが、外国人記者も押し寄せる国際大会の会見は緊張を強いられる。それを「学びの場」に変えてしまう貪欲な精神は特筆すべきものだ。

 チャンから刺激を受けていたのと同じ時期、羽生の探究心の強さをさらに感じた言葉がある。「記者の囲み取材が役に立つ」というのだ。

「メディアの方々に試合後に囲まれるようになってからは、記者さんとのやりとりの中で、滑り終わった直後に自分の演技を振り返って言葉にすることができます。僕自身、自分の演技を分析することが好きなので、様々な視点からの質問が飛んでくるのが刺激的ですし、それまでとは違った考え方もできる。取材も勉強の場になっています」

 これはベテランのアスリートでもなかなか口にはしない言葉だ。彼の若さゆえの素直さと探究心の大きさとが、よくあらわれている。

 チャンから得た刺激と学びの成果は、惨敗のエリック・ボンパール杯からわずか3週間後のGPファイナルですぐに表れる。羽生はSPでチャンの持つ世界最高得点を塗り替えると、その勢いでフリーでもトップの点数を記録。トータルでチャンに13点強の差をつけて初制覇し、シニアでは初となる世界タイトルを手にしたのだ。