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清武 英利
2017/02/21

銀座警察が消えた街 #1

50年後の「ずばり東京」ーー見栄と風儀と痩せ我慢の街

 その街を、「銀座盆地」と古手の商店主たちは呼んでいる。

 摩天楼がそびえ立つ東京のど真ん中に、高層建築を容易に許さない街が、約1キロ平方メートルに渡ってぽっかりとお椀のようにへこんでいるのだ。

 それは、はるか上空から俯瞰した銀座の有り様だが、そう言われてみると、この街は暑熱が滞留するし、冬は底冷えがする。夜更けの冷気は、日本橋や大手町、新橋の高層ビル群を伝って、低いビルの谷間に滑るように落ち、銀座に漂う霧となる。

街に馴染む「事務所」

 組長が通う事務所は、その盆地の南側、銀座6丁目の交差点をちょっと入ったところにある。5階建ての頑丈そうなビルで、表には黒塗りの高級車が1台。自前の砦である。地元の住人以外はヤクザの事務所であることを知らない。とにもかくにも、街に根付いている。

 事務所を出て、彼はゆらゆらと銀座通りへと出向く。100メートルほど歩くと、銀座最古の百貨店だった松坂屋の跡地一帯で再開発が進むのが見える。「銀座地区最大の再開発」とうたっているが、それも13階建てのビルに過ぎない。

 ここには、六本木ヒルズのような超高層ビルを建てる計画があった。だが、商店主たちが「銀座ルール」なるものを持ち出して押し返し、銀座は盆地のままで残った。

 小さな街だ。中央区銀座一丁目から8丁目まで1.1キロしかない。

 それでも、ヤクザまでが自慢する都(みやこ)だったのである。組長は九州の地方都市の出身だが、夜の銀座は、人口10万余のその郷里の人々を飲み込むほどに肥大化する。シマ内にいれば隣の芝生が青く見えることはなかった。いつも、隣の芝のはげ具合を笑っていたのだ。

 だが最近、組長の心象風景は灰色に染まっている。

 三越前の4丁目交差点あたりを見よ。いつも、違法駐車の観光バスが数珠つなぎで並んでいる。

違法駐車の観光バスが増えてきた ©iStock

 銀座通りは両脇を6.3メートルの歩道が占めている。東京都の条例は、

〈歩道の有効幅員は、歩行者の交通量が多い道路にあっては3.5メートル以上、その他の道路にあっては2メートル以上とすること〉

 とあるから、ここはゆったりとした歩道を備えた散歩の街でもあるのだが、バスを待たせて街を走り回る、中国や東南アジアの観光客たちの喧(けたたま)しいこと。

 日本人もその姿を笑えるか。彼らが闊歩する路上に目をやると、自転車やバイクが鎖につながれて、あちこちに放置されている。違法駐輪を控えたり、整理したりする気遣いが失われている。かつては人の目につかぬ場所にも、店主たちの見栄が施されていて、ゲームセンターなどは通りに出店させなかった。自動販売機さえ路上に置かせずに、ビルの中に引くように求めてきたのに――。

 事務所の近くにあった古い銀座医院はどうしたことか、カプセルホテルになっている。この街で働く者なら(もちろん組員も)一度は通った銀座の町医者だった。ツケが利いた。ひどい宿酔いの日に寄ると、看護婦は軽く眉根を寄せて「点滴するの?」と言ったものだ。「ポカリスエットに毛の生えたようなヤツでよければね」と続ける。消毒薬や薬の匂いに包まれ、固いベッドで横になっていると、遠くで街の音がした。その看護婦やセンセイたちは歌舞伎座タワーの16階に引っ越し、敷居も高くなっている。

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