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「思い描いた未来ではない、でも……」 元ヤクルト・鵜久森淳志が語った第二の人生

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

2019/10/11

第二の人生を踏み出して半年が経過

「今はまだ思い描いた通りの未来にはなっていないですね……」

 スーツ姿の鵜久森淳志は、グラス片手に言った。仕事が終わったサラリーマンの至福の瞬間。一日の終わりのビールは、どうしてこんなに美味いのだろう。昨年限りで現役を引退し、日本ハム、ヤクルトと続いた14年間のプロ野球生活にピリオドを打った。それは、本人曰く「未練なくユニフォームを脱ぐことができた」という幸福なエピローグだった。

 しかし、人生はなおも続く。32歳になった鵜久森にとって、プロ野球人生よりもこれからの人生の方がはるかに長い。「一体、自分に何ができるのか?」「自分は何をしたいのか?」を考えたときに頭に浮かんだのが、「自分は野球を通じて、多くの人にお世話になった。今度は自分が誰かの役に立ちたい」という思いだった。今年の春に話を聞いたときに、鵜久森は言った。

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「自分のこれからの人生をじっくりと考えたときに、“外から野球界を支えたい”という思いが強くありました。そして、頭に浮かんだのが“プロスポーツ選手のセカンドキャリアを支援したい”という思いだったんです」

 こうした思いを胸に、彼が選んだのがソニー生命への就職だった。生命保険の営業マンとして自分を磨き、それと並行してプロスポーツ選手の第二の人生を支援する取り組みを始めた。それが、鵜久森が新たに見つけた第二の人生の目標であり、生きがいだった。希望とともに歩み始めた新しい挑戦だった。

 あれから半年が経過した――。目の前の鵜久森はこの日もスーツ姿だった。打ち合わせ先からの帰り、約束の時間から少し遅れての到着だった。心なしか、以前会ったときよりもスーツ姿が板についているように感じられる。手に持っていた革製の鞄も半年間の努力の跡が刻まれているかのように、少しだけ傷んでいた。

 席について最初に尋ねたのが、「思い通りに進んでいますか?」という問いだった。それに対して、鵜久森が口にしたのが、冒頭に掲げたセリフだった――。

スーツ姿の鵜久森淳志氏 ©長谷川晶一

「僕、履正社高校・井上広大クンに似ていますか?」

 こちらの問いに対して、「思い描いた通りではない」という言葉ではあったが、そこには悲壮感や焦りといったネガティブな感情は読み取れなかった。鵜久森は続ける。

「……思い描いた通りではないですけど、でも、“誰かの役に立ちたい”という気持ちも、思い描いているビジョンも何も変わっていないです。最初に描いた、“セカンドキャリア支援をしたい”という思いに迷いはありません。毎日、いろいろな人に相談しながら試行錯誤している。そんな半年間でしたね」

 野球を見る時間もとれなかった。引退直後に思い描いていたように、家でゆっくりテレビ中継を見ることも、球場でのんびり観戦することもかなわなかった。今夏の甲子園で話題になった選手のことも、鵜久森は知らなかった。それは、雑談の中でのひと言だった。

 ――今年の夏の甲子園。大阪・履正社高校の井上(広大)クンと鵜久森さんが似ていると話題になりましたよね。打席の雰囲気も構え方も、高校時代の鵜久森さんのような大型外野手、右の長距離砲の貫禄が漂っていましたよね。

 この問いに対して、鵜久森は笑顔になった。

「そうなんです。それ、いつも言われるんです。そんなに似ていますか? でも、実際の映像を見たことがないんです。みんなから“似ている”って言われるんですけど、それは井上クンに失礼ですよ。僕はたいした選手じゃなかったですから(笑)」

 甲子園中継が始まる前には自宅を出て、通勤ラッシュの真っ只中に大きすぎる身を委ねていた。甲子園の結果を報じる夜のニュースが放送される頃はまだ自宅に着いていなかった。初めて飛び込んだ金融業界。保険の仕組みを学び、顧客のライフプランを聞き取って最適な提案をするために、昼も夜もなく勉強する毎日。大変な日常であることは間違いない。けれども、済美高校時代には厳しい練習に耐え抜き、甲子園優勝の栄光をつかんだ。あるいは、プロの世界で14年間も厳しい競争を勝ち抜いてきた経験が、鵜久森にはある。

「高校時代、プロ時代も厳しく大変でしたけど、《厳しさの質》という意味では、今はまた違うものですね。初めての世界ということもあるし、お客さまの人生にかかわる仕事でもあるし、野球とはまた違った厳しさの中に、自分の身を置いている感じです」

 真っ直ぐ、前を見据えて、鵜久森は言った。

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