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楠木 建
2017/03/14

「ブラック企業」批判は、ズレていないか?

楠木建の「好き」と「嫌い」――嫌い:「ブラック企業・ホワイト企業」

「ブラック対ホワイト」の欺瞞

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 最近やたらに使われるようになった「ブラック企業」という言葉、これが嫌いである。というか、「ブラック企業・ホワイト企業」という区別がイヤなのである。

 ブラック対ホワイトという分類は明らかに良し悪し基準に基づいている。前にも話したことだが、人の世の中のもろもろで普遍的な「良し悪し基準」で割り切れることなど、ほんの一部に過ぎない。「良し悪し」は氷山の一角、水面下には人それぞれの「好き嫌い」が広がっている。

 僕は常々「良し悪し族」がデカいツラをし過ぎだと苦々しく思っている。良し悪しの価値観でものごとを割り切るのが早すぎるし軽すぎる。何かにつけて「ブラック企業」と騒ぎ立てるのはその典型例だ。

 労働基準法などの法令違反、これは単純に「悪いこと」。議論の余地はない。是正しなければならないのは当たり前だ。ところが巷で「ブラック企業」と言うとき、だいたいは「仕事がきつい」とか「プレッシャーが大きい」という社員の認知を問題にしている。キツい仕事それ自体が「悪い」わけではない。プレッシャーが大きくかかる仕事を好きな人もいれば嫌いな人もいる。

 たとえば、ユニクロ。仕事が非常に厳しくて、みんな疲れ果てちゃうとか、人間性崩壊みたいな話になる。だとしたら、メガバンクや総合商社はどうなのか。客観的に仕事の厳しさやプレッシャーを測定したら、ユニクロをはるかに凌ぐ「黒光り企業」がごろごろしている。

労働環境が厳しい企業として名が挙がるユニクロ ©iStock

 仮定の話として、ユニクロのお店で「いやぁ、ちょっと厳しいな、ブラックだな…」って思っている販売員がいたとする。その人が総合商社に転職したとする。そこで待っているのは「今すぐにモザンビークに飛んで、この10億円の案件、絶対にまとめてこい!」という仕事である。ブラックどころか地獄 だろう(少なくとも僕なら秒殺)。

 しかし、商社をブラック企業と批判する人は少ない。なぜか。総合商社の仕事とは「そういうもの」だからである。「ブラック対ホワイト」という図式はいかにも底が浅いと思う。

キツさの中身

働き方改革実現会議で発言する安倍首相 ©共同通信社

 このところの「働き方改革」の議論では、客観的に測定でき、数量的にコントロールできる労働時間の問題が前面に出ている。労働時間の短縮については僕も原則的に賛成である。同じ成果が出るなら、それに要する時間は短い方がいい。当たり前の話だ。

 ただし、労働時間は仕事のキツさを構成するひとつの次元に過ぎない。実際のところ、仕事のキツさを左右する要因としては、労働時間の長さよりも、仕事の難しさ、成果達成へのハードルの高さ、そこでのタイムプレッシャーや責任の大きさのほうが大きいだろう。しかもこうした仕事の厳しさはその人の認知――すなわち好き嫌い――に依存している。

「プレッシャーや困難な課題は大歓迎。そういうところでガンガンギラギラやるのが大好き!」という人もいるわけで、そういう人は金融とか商社とかコンサルティングとか電通 とかベンチャー企業に就職するだろう。

「生計を立てていかなきゃいけないけれど、生活を大切にして、ゆとりを持って仕事をしたい」という人ももちろんいる。そういう人はもっとゆったりした仕事に就く。たとえば、僕である。自分の好き嫌いは自分がいちばんよくわかっている。間違ってもコンサルティング会社や商社には就職しない。学者という、フワフワした究極の間接業務を選んだ次第だ。

 ゆとり中年の僕ではあるが、書くのはとにかく大好き。大量の文章を書くのはまったく苦にならない。編集者から「もうそれぐらいでやめろ!本が長くなりすぎる」といわれても、まだ書く。モザンビークの10億円の案件がお茶の子さいさいの猛烈商社マンであっても、「原稿用紙1000枚の文章を書くなんて辛気臭い仕事、ツラくてやってられないよ!」と思うかもしれない。そういうことである。個人の好き嫌いについて、他人がどうこういうことはない。