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稲田朋美「身体検査」150分

防衛相に登りつめた網タイツの女王 

source : 週刊文春 2015年10月15日号

genre : 政治

思想信条はほとんど一緒。総理は話しやすい

 2015年10月3日午前11時、東京都千代田区にある小社玄関前。記者の前に現れたのは、膝上丈の黒のワンピースと一際目を引く白の網タイツを身にまとい、「スター・ウォーズ」のキャップとサングラスで変装した1人の女性。誰あろう、前日に米国から帰国したばかりの稲田朋美・自民党政調会長(56)である。傍らには本来、この時間に取材を約束していた弁護士である夫、稲田龍示の姿もあった。

 当選3回で大臣と党3役を経験するスピード出世を果たし、“女性初の宰相候補”と目される稲田。今回の内閣改造でも彼女の処遇は最大の焦点だった。

現職は防衛大臣。©文藝春秋

「安倍首相は経産相での起用を検討していたようですが、稲田氏の度重なる抜擢に党内の反発は大きく、首相も稲田氏の将来を考え、政調会長に留任となったのです」(官邸担当記者)

 時の最高権力者の寵愛を受け、ポスト安倍をもうかがう稲田朋美とは一体、どういう女性なのか――。

 小誌は特別取材班を組み、党幹部や支援者、親族らへの取材を進めていた。その過程で浮かび上がった疑問や疑惑の事実確認を求めたところ、突然の本人登場と相成ったわけだ。以下、取材した事実をもとに、緊急の“身体検査”を行った。

 稲田は1959年福井県生まれ。高校の英語教師だった父の仕事の関係で、京都に移り住み、府立乙訓高校を卒業後、早稲田大学法学部に進学。大学卒業後、2度目の挑戦で司法試験に合格し、弁護士となった。そんな稲田の運命を変えたのが、安倍晋三だった。

 2005年夏、稲田は安倍の誘いで、自民党若手議員の勉強会に講師として招かれた。当時、「百人斬り訴訟」の原告側代理人を務めるなど、気鋭の保守論客として活躍していた稲田に安倍が目をつけたのだ。

「安倍さんは稲田さんの弁舌に一目ぼれした。女性の保守という点も珍しいと評価していた」(側近議員)

 その直後に郵政解散が決まると、安倍は早速、稲田に白羽の矢を立てた。「落下傘のおっかさん」というフレーズを掲げ、稲田は父の故郷、福井から“刺客”として出馬。373票の僅差で勝利する。

 以降、稲田は安倍との関係を一気に深めていく。

 第2次安倍政権で行政改革担当相に抜擢。初閣議を終えると、安倍は稲田と消費者担当相の森まさこという初入閣コンビにこう告げた。「君たちならできる。攻めの強い人は守りも強いから」。野党時代に“ヤジ将軍”として鳴らした2人への激励だった。

 稲田を「ともちん」と呼ぶ安倍との近さを物語るこんなエピソードもある。

 大臣に就任した稲田を囲み、昨年、司法修習時代の同期生が集まったときのこと。主役であるはずの稲田は「これから安倍さんと食事をするので」と言い残して中座したという。

「JXホールディングスの渡文明相談役や、JR東日本の大塚陸毅相談役など財界人との会食に、首相はよく稲田氏を同席させています」(官邸関係者)

 小社の1室で取材に応じた稲田は、安倍との関係をこう語った(以下、太字は稲田の発言)。

「安倍さんがいなかったら私は政治家になっていません。思想信条はほとんど一緒。総理は話しやすいし、相談しやすい人です。(出馬を打診された時)主人には『君は政治家になったほうがいい』と言われました」

 横に座る龍示も頷く。

 2人の交際は30数年前、大阪で過ごした司法修習時代に遡る。実は稲田が25歳の時に1度結婚を決めたが、叶わなかった。

主人の家系は非常に民族的な考え

「長男長女同士の結婚ということで、両家の親同士が衝突したんです。夫の父が『1人娘をもらうのだから、諸手を挙げて賛成してほしい』と言うと、私の父は『しぶしぶ許してるだけ』と返して、そのうちに『絶対結婚させない』となって。最後は『もう2度と会うことはないね』と別れることになりました」

 しかし稲田が28歳の時、母が亡くなり、新聞の訃報欄を見て通夜に現れた龍示と再会。週末に食事を共にするようになった。

 隣に座る龍示は「覚えていないなぁ」と呟くが、

「なんで覚えてへんねん、腹立つわ(笑)。あの頃、海外を旅していた主人からは『鳥越九郎(とりこしくろう)』とか偽名使って、毎日のように絵葉書が届きましたよ。それ、私、今でも持ってるもん」

 帰国後も龍示からの手紙は続く。ある日、署名捺印した婚姻届と〈宇宙の秩序により結婚することになっている〉というメッセージを綴った手紙が届いた。

「勝手に婚姻届を提出したので、それから2年くらい父はすごい怒っていましたね。口も利かなかった」

 当時の稲田は政治には興味のない人間だったが、龍示は保守思想の持ち主だった。元同僚も「靖国神社について熱く語っていた姿が印象的」と振り返る。

「主人の祖父は大阪で(石原莞爾らが所属した)国柱会を広めた人なんです。主人の家系は非常に民族的な考えなんですよね」

 また、公立高校の元英語教師という稲田の父も「日本文化チャンネル桜」に出演したり、7月には国会前で安保法制賛成の街宣に立つなど、保守活動家として一部で知られた存在だ。

2014年の総選挙。©文藝春秋
 

 ただ、稲田自身は父とは複雑な関係だと語る。

「父は私が政治家になるのに反対でした。『子どもの面倒は誰が見るのか』とか『小泉改革には賛同できない』とか。父からすると、私のことは何かと不満やろうから、あまり会わないようにしてる。父なりに信念を持ってやってるんやろうけど、国会の前で(街宣は)やらんといて欲しい」

 1男1女に恵まれた母親としての家庭生活について、稲田は過去のインタビューで〈私なりに子育てを一生懸命やったが、家事はあまりしていないのは事実〉と語っているが、稲田家を知る知人はこう語る。

「忙しいなか、教育熱心な母親だったと思います。子どもたちが幼い頃は、空手の全国大会に連れて行っていましたね。選挙に出る前後、東京に引っ越してきた時に『東京やとどの学校がいいんやろ』と中学受験の相談を受けたこともありました。その後、長男は開成高から東大に進学し、大学では空手部に入っていました。長女は雙葉学園高から早大に進んでいます」

 絵に描いたようなエリート一家である稲田家の資産もまた興味深い。行革相を退任した時の資産公開(14年10月)によると、主に夫婦の共同名義で文京区大塚(自宅用)、千代田区六番町(貸家用)など10件弱の不動産を所有しており、その推定価格は7億円を超える。注目すべきは、4億円近くと見られる港区高輪(自宅用)の土地を行革相就任前日に契約している点だ。大臣在任中は不動産や有価証券等の売買自粛が求められており、絶妙なタイミングではある。

「文京区の自宅は古くて震災が来たら潰れると思ったので、引っ越しを考えていました。10月頃から探していて、12月に総選挙があり、たまたまあの時期になったんです。ただ、多忙で引っ越しできずにいます」

 さらに、すべて龍示名義の保有株式が42銘柄。今も保有し続けているとすれば、時価総額(10月2日終値)の総計は約2億7000万円で、アベノミクスの恩恵で含み益は約8000万円にのぼる計算だ。

「主人の父が株をやる人で、主人も昔から四季報を読むのが好きだった。細かな銘柄は大臣になった時に初めて知りました」

 龍示は、苦笑する。

「(資産公開で)チマチマ持っているのが(バレて)恥ずかしい」