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中西 輝政
2017/03/10

トランプには真似できない大英帝国の支配術

教科書に載っていない世界史 アメリカ独立戦争 1775-1783年

100年以上続いた「パックス・ブリタニカ」。
その多極的外交術の秘密は手痛い敗戦にあった。

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 トランプ登場後、アメリカのみならず世界も明らかに変わっていくでしょう。その変化がどのようなもので、我々に何をもたらすのか。これはどうしても世界史の大きな文脈で考える必要があります。

 そこで2つ押さえておくべきことがある。その一つは、現在アメリカが陥っている混乱は、トランプという個性だけが原因ではない、ということです。

 この点は後に詳しく述べますが、大きな流れだけあらかじめ示すとすると、1991年1月にジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父)が開始した湾岸戦争こそが、冷戦後に起こった「アメリカの誤ち」の始まりだったと指摘できるでしょう。このころから「単極支配のとき」というスローガンの下、冷戦に勝利したアメリカが世界を一極的に支配しよう、といった議論が盛んになされましたが、実は、その認識がすでに間違っていた。それが誰の目にも明らかになったのは、息子の方のブッシュ大統領が始めたイラク戦争、それと前後して行ったアフガニスタン侵攻での失敗です。

 この父子の失敗を受けて、クリントン、オバマの両政権はそれぞれ少しずつ「世界の警察官」からの撤退を図ります。それは、徐々に広がっていた孤立主義的な国内回帰の風潮と合流してゆきます。そしてその延長が、トランプのいう「アメリカ・ファースト」、なりふり構わぬ“自国優先”という名の極端な孤立主義だといえます。

 もう一つは、それにもかかわらずアメリカは依然として世界最強・最大の国家であり、安全保障や外交、金融、物流、情報など現代社会を支えるあらゆるシステム、つまり世界秩序の中核を担っているということです。

 では、近代の世界秩序、たとえば国境を定め、大使を互いに交換し、貿易協定を結ぶなどのルールを決め、鉄道や通信網といったシステムを構築し、世界に広げたのは誰かといえば、それは近代西欧であり、わけてもイギリスの貢献が圧倒的だったといえます。そうした大英帝国の資産を、20世紀のアメリカはいわばタナボタ式に引き継いだ。

 だから、現在の世界を理解しようとすれば、まずイギリスの覇権とは何だったかを知る必要があります。そして私の考えでは、いま直面しているアメリカの混迷を解く鍵も、そこに潜んでいるのです。

覇権を決した2つの戦い

 アメリカという国は、ある意味でわかりやすい覇権国家です。資源にも恵まれた広大な国土に世界中から人々が集まり、強大な経済力と軍事力を生み出している。それに対し、イギリスはどうでしょう。小さな島国で、人口もそれほど多くはありません。強大な植民地帝国を形成する前は、せいぜい欧州の中堅国家、それも周辺部にある三番手、四番手以下の存在に過ぎませんでした。

 しかもその海外への進出も、欧州のライバル国に遅れを取っていました。スペインは16世紀に南米のほぼ全域を支配し、17世紀にはオランダがアジアまで貿易圏を広げ、通商面でのヘゲモニーを握ります。18世紀になると、外交の現場ではフランス語が共通語の地位を占めていました。

 それに対しイギリスは、1588年にアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊に勝利はしましたが、この時点では大西洋などの海洋覇権を奪うには至っていません。17世紀までのイギリスは海賊がスペインなどの商船や植民地を襲って、略奪を繰り返したりする、今でいえば「ならず者国家」で、ひたすら国としてのサバイバルしか考えていないような存在だったのです。

 それが大きく転回するのは、18世紀、それも後半のことです。日本の教科書では大きく扱われていないのですが、現在の世界の成り立ちを考える上では、実はこの18世紀のイギリスの歴史が決定的に重要なのです。

 なかでも1760年前後に、世界史を分けた戦いといえる2つの戦いがありました。

 一つは、1757年、インドのベンガル地方で起きた「プラッシーの戦い」です。これはイギリスの東インド会社がベンガルの太守軍を破った戦いとされていますが、実はベンガル太守をバックアップしていたのはフランスの東インド会社でした。そういう意味では、およそ百年後の日本でイギリスが薩長を、フランスが旧幕府を支援した幕末の戊辰戦争と同様の構図です。

「プラッシーの戦い」の世界史的意義は、イギリスがフランスをインド亜大陸から完全に放逐したことにあります。大英帝国の世界支配を支えたのは植民地インドが生み出す巨大な富でしたが、その基礎を固めたのがこの戦いだったのです。

 そしてもう一つが、1759年、カナダでの「ケベックの戦い」(アブラハムの野戦を含む)です。1755年に始まった「フレンチ・インディアン戦争」(「七年戦争」の一部を成す)で、イギリスはフランスと北米をめぐって激しい戦闘を続けていました。一時期イギリスは劣勢に追い込まれますが、植民地の軍事力を増強し、巻き返します。そして有名な「ケベックの砦」を攻め取って、北米大陸でのフランスの植民地支配にピリオドを打ったのです。

 このとき、フランス側はあと一歩でケベックに援軍が到着するところでした。間に合っていたら、イギリス軍は全滅していたのではないかとされています。「歴史のIF」の話になりますが、もしこの「ケベックの戦い」でフランスが勝利していたら、北米はアングロサクソンの支配ではなくフランスの支配に入っており、その結果、今ごろ世界中で話されている言語は、英語ではなくフランス語になっていたでしょう。

 つまりインドとカナダでの、一見ローカルに思える2つの戦いが、アングロサクソン支配という近代世界の覇権構造を決定づけたのです。

 ちなみに、この「フレンチ・インディアン戦争」で苦戦した若きイギリス人将校のひとりにジョージ・ワシントンがいました。この戦いで経験を積んだワシントンは、アメリカ独立戦争(1775-1783年)で植民地軍総司令官となり、イギリスを敵として戦うことになります。

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