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社会の一大事よりも、特定の個人にとっての一大事を書きたい――横山秀夫(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/04/12

genre : エンタメ, 読書

note

日航機事故は書かないことのほうが不自然な気がしていた

――警務部の人間は刑事事件や犯人を追うわけではないので、謎の設定もユニークですよね。『陰の季節』では、元刑事の大物OBが天下り先の役職を辞めようとしない理由を、人事担当の二渡が突きとめます。『動機』では署内で保管されていたはずの30冊の警察手帳が紛失する。派手な刑事事件ではないけれども、どの出来事も当事者たちの切迫感、緊張感が伝わってきます。

横山 コップの中の嵐を書きたい、という欲求が強いんですね。あまりに大きな出来事は人ひとりで受け止めようがないですし、受け止められないということは、どこか他人事になってしまう。その逆に、どんなに小さい出来事でも自分に関わる問題が目の前に立ち上がった時、人はたちまち人生の岐路に立たされる。それが私の考えるリアリティです。だから社会にとっての一大事よりも、特定の個人にとっての一大事を書きたい。そうなると刑事部よりも、管理部門を舞台にしたほうが馴染みがいい。書きたいことの本質にストレートに迫れるんですね。殺人事件が発生したからといって個々の刑事には何の負荷も掛かりません。レストランに大口の予約が入り、よーし、今夜は頑張ろうと気を引き締めるのと変わらない。殺人事件が連続になろうが猟奇殺人であろうが、注文の料理が変更になった程度の話です。なので刑事が「自分の事件」と感じるためには、身内が被害者になったとか誤認逮捕をしてしまったとか二段構え、三段構えの要素が必要になります。これに対して、管理部門の人間に降りかかる問題は最初から「自分の事件」なので、葛藤劇として純度の高いものが約束されているということです。

――では、日航機事故を追う新聞社のデスクが主人公の『クライマーズ・ハイ』(2003年刊行/のち文春文庫)や、阪神大震災が遠景にある『震度0』をお書きになったのはどういう思いがあったのですか。

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クライマーズ・ハイ (文春文庫)

横山 秀夫(著)

文藝春秋
2006年6月10日 発売

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横山 『クライマーズ・ハイ』は警察小説群とはまた別の執筆動機がありました。ただ、小説作りの考え方はどちらも同じです。描こうとしたのは事故の巨大さではなく、地元新聞社の編集局内で吹き荒れる「コップの中の嵐」です。その枠組みを崩さないために、主人公の悠木を一度も墜落事故現場の御巣鷹山には行かせませんでした。事故そのものは社会の一大事であっても、担当デスクを命じられた悠木にとってはもはや個人の一大事であり、その立場から絶対に逃がすまいという思いでした。

 それと、墜落現場を直接的に描かなかったのにはもう1つ理由があります。実は事故当時、私は現場担当で、墜落翌日からほぼ2カ月間、毎日のように取材で御巣鷹山に登っていました。それを知っていたんでしょうね、デビュー前のことですが、ある編集者からノンフィクションで御巣鷹山の取材経験を本にしないか、と。ちょうどその頃、漫画が打ち切りになって生活も困窮していたので、ぜひ書かせてください、と。あさましい話ですが、その時一瞬、これを書いたら世に出られるかなあ、と思いました。実際に書きはじめて、でも結局書けなかった。コペル君じゃないけど、熱を出して数日寝込みましたよ。で、その時、誓いました。いつかもしあの事故のことを何かの形で書くことになったとしても、それは金に困っていない時に書こう、と。

 

 小説家としてデビューした後は、逆にあれだけの経験をしていながら何も書かないことのほうが不自然な気がして、なんだか窮屈な思いをしていました。あの事故を避けている、逃げている、って。順調に本も出せて生活も安定してきていましたが、それでも一度は世の中に出る道具と考えた取材経験をもとに小説を書くのは嫌でした。だからこそ墜落現場を描かない『クライマーズ・ハイ』の発想が出てきたんだと思います。取材経験を封印することは「コップの中の嵐」を描いてきた自分の作風とも合致する。今にして思えば、あの細い道しかなかった。逆に言うなら細いけれど道はあった。鎮魂とも空の安全とも接点を持てませんでしたが、私の本もまた、あの巨大事故が風化を許すまいと書かせた1冊だったと感じてますし、この本を残せただけでも作家になった甲斐があったかな、と思ったりしますね。