昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

山内 宏泰
2017/03/04

星空のごとき、ヴェネチアン・グラスのアート

いま最も注目されるガラス作家、三嶋りつ惠が作品に色付けをしない理由

 ガラスを素材に創作する三嶋りつ惠の個展「星々」が、六本木のギャラリー・シュウゴアーツで開催中。足を踏み入れたとたん私たちは、色をつけていない透明なガラスのオブジェの数々に出くわす。そこに反射する純な光がまぶしすぎて、クラクラする。自分が小さくなって宝石箱の中に閉じ込められたかのよう。瞬時に街の喧騒から切り離され、異世界に遊べるこの感覚こそ、アートに触れるおもしろさだ。

©飯本貴子

伝統を誇るヴェネチアのガラス工芸

 三嶋りつ惠は若くしてヴェネチアに移住し、1990年代からはヴェネチアン・グラスの産地として名高いムラーノ島に通い詰めるようになる。ヴェネチアのガラス工芸といえば、欧州有数の規模と質を誇るものとして名高い。その一大産地がムラーノ島だ。ヴェネチアの街から容易に眺めやれる距離にある小さい島には、昔も今も無数の工房が密集している。

三嶋りつ惠さん ©飯本貴子

 早くからガラス加工技術が発達したヴェネチアでは、その卓越した技術力が他の土地へ流出しないよう、職人たちの囲い込み政策をとった。1291年、当時のヴェネチア共和国は、工房のすべてをムラーノ島へ強制移転させ、職人たちを家族ごと島に住まわせた。そうして、逃げ出したりしようものなら、厳罰に処したのだった。

 そんな特殊な環境のなか、秘儀のごとく受け継がれ、洗練の度を増していったヴェネチアン・グラスの特長は、まずはガラスの透明度の高さにある。これは用いる素材に由来するようで、仕上がりの輝きが他とは明らかに違う。

 何世紀にもわたり磨き上げられてきた装飾技術の水準とデザインのオリジナリティもまた、他の追随を許さない。さらには印象的な濃い赤をはじめ、ガラスに施される鮮やかな彩色も、華やかさと「らしさ」を演出している。

©飯本貴子

職人との二人三脚で生まれる

 三嶋りつ惠は長らくムラーノ島の工房と付き合いを続け、親方や職人たちとよく理解し合い、ともに作品をつくり上げる態勢を築き上げてきた。そうしていまやすっかり、ヴェネチアン・グラスを用いて制作する作家の第一人者となった。

 彼女の生み出す作品には、ヴェネチアン・グラスの業と伝統がたっぷりと流れ込んでいる。夢想にかたちを与えたような有機的で自在なフォルムは、熱せられて飴状になったガラスが三嶋の的確なディレクションのもと、職人たちによって手早く加工されて生み出されたもの。関わる者の息がよほど合わねば、実現しないはずだ。

©飯本貴子

 ただし、三嶋は作品に色付けをしない。その点はヴェネチアン・グラスの主流と少々のズレがある。三嶋がともに仕事をする工房の技術をもってすれば、いくらでも鮮明な、または微妙な色合いだって付けられるだろうに、そうしないのはなぜか。おそらくは、色とは違うものでガラスのなかを満たしたいからだ。

作品は「光を見る装置」

 三嶋作品の内側を満たしているもの。それは光である。ガラスに注がれる光が、作品の内側を通過する。なめらかでわずかな凹凸や、内包する小さい気泡によって光が反射し、オブジェの輪郭だけがそこに朧げに浮かび上がる。ほんとうは相応の重みがあるはずのガラスの塊が、重力から解放されてふわと漂っているように見える。

自ら発光するかのような作品たち ©飯本貴子

 モノはたしかにそこにある。それなのに、実体を失くして虚像だけが残ったかのような、儚げな存在に感じられてくる。この軽やかさを実現するのには、ヴェネチアン・グラスのもともとの透明度の高さや、微細なカーブも思うがまま表せる高度な職人技が、大いに活きているだろう。

 三嶋りつ惠のガラスは、光を愛でるための装置になっている。そう考えると、個展名の「星々」とは、なんとぴったりなネーミングであることか。わたしたちが目にする夜空の星は、星そのものを目視できるわけではなくて、そこから発せられる光を見ているに過ぎない。会場にずらりと並んだ三嶋作品を眺めたときと、満天の星空を見上げるときの感触は、たいへんよく似ている。どちらも光を、その煌めきだけをただひたすら愛でているのだ。

©飯本貴子