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信玄、信長、家康の軍事政策に見る、現代にも通じる戦略ロジック

教科書に載っていない世界史 関ヶ原の合戦 1600年

当代きっての戦略研究家が戦国日本を縦横に論じる。

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 私は戦略の専門家として、世界中の事例、軍事、外交の歴史を研究し続けている。日本の歴史もその例外ではない。ことに15〜16世紀の日本、いわゆる戦国時代には注目すべき軍事指導者が数多く輩出しており、そこから学びうるものは少なくない。

 そこで、ここでは3人の傑出した武将を取り上げたい。すなわち武田信玄、織田信長、徳川家康である。私が試みたいのは、彼らの軍事政策のなかに、現代にも通じる戦略のロジック(論理)を見出すことだ。

ルトワック氏

 あらかじめ言っておくならば、戦略のロジックとは、本質的にパラドキシカル(逆説的)なものである。日常生活における常識的な論理からすれば、すべてが逆立ちしているように思えるかもしれない。その最も基本的なものを挙げれば「平和を欲するならば(戦争を抑止するために)戦争に備えよ」という格言だ。言い換えると、軍備を放棄し戦争を否定したつもりが、かえって軍事バランスを崩し、近隣国が戦争に踏み切るメリットを増大させてしまうことにもつながる。これが戦略に常に発生するパラドックスだ。

 なぜそうなるかといえば、戦略においては、常に「他者」が存在するからだ。ある国が戦略的なアクションを起こせば、必ずその近隣国家は、敵対的であれ、友好的、中立的であれ、何らかのリアクションを起こす。そしてその他者のリアクションが、意図せざる結果を生むことになる。

 では、実際の歴史において、優れた軍事指導者は、このような戦略の論理とどのように向かい合ってきたのか。まずは武田信玄から見ていこう。

「風林火山」 戦術の論理

 私は、武田信玄とは完璧な「戦術家」だったと考えている。

「風林火山」。言うまでもなく武田信玄の軍事的スローガンとして知られる言葉だ。そのルーツは孫子の兵法にあり、「疾(はや)きこと風の如し、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく)すること火の如し、動かざること山の如し」を意味しているとされている。

 ここで語られているのは、奇襲の原理である。「疾きこと風の如し」とは、つまり素早く動くことで敵にサプライズを与えよ、ということである。奇襲の目的は、一時的に敵の反応を奪うことにある。それが1秒であることもあるし、1年間に及ぶこともあるだろうが、敵にある一定期間、反応させなくすることが狙われている。それがなぜ有効な戦術なのかといえば、敵の反応を奪うことで、パラドキシカル・ロジックの発動を抑えることができるからだ。

 パラドキシカル・ロジックは、他者=敵の反応によって生じる。これが発動すると、攻撃した側の意図とは異なる複雑なリアクションが起こってしまう。それが起きないうちに、作戦を終わらせてしまうことが、「疾きこと風の如し」なのである。

 実は、「徐かなること林の如し」「侵掠すること火の如し」も同じ論理に基づいている。静かに行動すれば、敵にこちらの意図を察知されることがない。ここでも目的は、敵の反応(防戦準備など)を封じることだ。また「火の如」く全力で攻撃を仕掛けることにより、戦闘終結を早め、敵のリアクションを封じ込めようとしているのである。

 こうしたことからも、武田信玄が戦略のパラドキシカル・ロジックを理解し、その克服を実行していたことがうかがえる。実際、信玄の率いた武田軍団は、数々の戦勝を積み上げ、戦国最強と讃えられてきた。

 ところが、いかに戦術的勝利を重ねようとも、その勝利を完全に相殺してしまう、より高次の階層の論理が存在する。それは「同盟」などを含む大戦略のレベルだ。私の見るところ、戦国日本でこのことを最も理解していたのは、徳川家康だった。

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