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水野 和夫
2017/03/17

歴史に学ぶ「超低金利」という危機をどう乗り越えるべきか

特別講義 金利が世界史を動かす

株価は上がれど、給料は増えず、利子も増えない。
何かがおかしい理由は、世界史的に見て異例の「超低金利」にあった。

◆◆◆

 私たちは今、大きな歴史の転換期にいます。「危機」の時代のただなかにいると言ってもいいでしょう。

 それは、2008年にリーマン・ショックが起こったからではありません。今年、アメリカにトランプ大統領が出現したからでもありません。

 それらは、危機の結果であって、原因ではないのです。

 危機の原因は何か。世界史に大きな転換を迫っているものとは何か。それは日本に端を発して、今や世界に広がり、20年以上続く2%以下の「超低金利」だと私は考えています。そう考えるようになったのは、金利によって世界史を見たことがきっかけでした。グラフ1を見てください。それは16世紀から現在に至る金利、具体的には、その時代を代表する経済大国の国債利回りの変動を追いかけています。資本収益率は国債利回りと連動しているので、資本収益率の変化を見るのにも役立ちます。

水野和夫『過剰な資本の末路と、大転換の未来』(徳間書店)より

 グラフを観察すると、超低金利すなわち、超低資本収益率が10年以上続いている時代は2つしかありません。1つ目は17世紀初めのイタリアのジェノバ(グラフ1「16世紀末の利子率革命」)、2つ目は20世紀末から現在に至る日本(グラフ1「21世紀の利子率革命」)です。私たちは金利がローマ法王によって認められた13世紀以降、二度しか起こらなかった異常事態のなかにいるのです。

資本主義は17世紀に危機を迎えていた

 17世紀初めのイタリアは「長期的な超低金利」という見かけの類似点を超えて、今を考えるための有益な考察を与えてくれるのか。私は当時のイタリアで何が起きていたのかを調べてみることにしました。

 まず目に入ってきたのは、山という山の樹が伐採されて開かれたワイン畑でした。ワイン畑は、当時の最先端産業です。今なら、さしずめIT産業でしょうか。最先端産業は、これまでにない市場を開拓し、新しい付加価値を生み出しますから、非常に資本収益率が高い。しかし、それに惹かれて、多くの投資が集まり、多くの企業が参入しますから、次第に供給過剰になり、最後は熾烈(しれつ)な価格競争を迎えて、資本収益率は0に近づいていきます。見渡す限りの山がワイン畑になっている光景が意味するのは、すでにワインが過剰生産の域に達していることであり、その資本収益率が著しく低下していることです。そうなると、資本は他のより資本収益率が高い産業に向かうはずです。しかし、そうはならなかった。

 フランスの歴史家フェルナン・ブローデルはこの時代について、『地中海』で、イタリアの経済史家、カルロ・M・チポラの著作を引用しながら、「銀と金は投資の手段を見出すのが困難である。『資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであるが、これは実は並み並みならぬ革命である』」と書いています。もうこの時代の地中海世界では、あらゆる産業への投資が行き渡り、ワイン畑だけでなく、社会全体の資本収益率が低下していました。

 そうなると、利子率は下がっていきます。資本収益率よりも利子率が高ければ、お金を借りた方の手元に利益が残らなくなりますから、利子率を低くしなければ、お金を借りてもらえなくなるからです。これこそが、17世紀初めのイタリアの超低金利の原因でした。

 ジェノバの国庫貸付金の利子率は、16世紀の半ばから下がり続け、1611年から1621年まで2%を切る超低金利に入り、1619年には、1.125%まで下がりました。総資本収益率は国債利回りよりも少しだけ高くなりますから、2%前後だったでしょう。

 これは資本主義経済にとっては、「危機」にほかなりません。出資先の企業が倒産して、元本や利子が返済されない可能性もあるので、資本収益率が2%を下回ると、企業にお金を貸して、その利子を回収している投資家は成り立たなくなってしまうからです。企業のオーナーである資本家にしても、利子を払うと、ほとんど利益が残らず、生産設備の刷新や研究開発など将来への投資を行えなくなります。長期的に超低金利が続いたことによって、当時のイタリアを経済的な中心としていた西ヨーロッパでは、資本主義が停滞の危機に直面し、その社会の持続可能性が失われつつありました。チポラはその現実を「革命」と言い表したのです。