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70年前も70年後も、人間は人間として在るはずだという思いで書きました――吉田修一(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/04/30

genre : エンタメ, 読書

note

唯一一人になれる感じがあったのが、書くということだったんです

 

――さて、吉田さんは1997年に文學界新人賞を受賞されてデビューしています。つまりはもうすぐ作家生活20周年なんですよね。

吉田 なんとか生き残ってます(笑)。でもあっという間でした。

――02年に『パレード』(02年刊/のち幻冬舎文庫)で山本周五郎賞を獲ったと思ったら同じ年に「パーク・ライフ」(『パーク・ライフ』所収、02年刊/のち文春文庫)で芥川賞を受賞。07年に『悪人』(07年刊/のち朝日文庫)で毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞し、10年には『横道世之介』で柴田錬三郎賞を受賞している。すごく順調にここまできている気がします。

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パレード (幻冬舎文庫)

吉田 修一(著)

幻冬舎
2004年4月 発売

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パーク・ライフ (文春文庫)

吉田 修一(著)

文藝春秋
2004年10月 発売

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吉田 いや、本当に人ですよ。周りの人のおかげ。ただただ、それに尽きます。

――そもそも小説を書き始めようと思ったのはいつですか。学生の頃じゃないですもんね。

吉田 そうですね。学生時代は考えてなかったですね。卒業してからいろんなバイトをして、その頃にも別に作家を目指しているわけじゃなかった。でも、24~25歳の頃に小説を書き始めたんですよ。ご存知のように僕は居候生活が長いじゃないですか。

――はい。吉田さんは20代の頃、人の家を転々と居候していたんですよね(笑)。

吉田 友達も多かったですし、本当に賑やかにやってました。ただ、そうやって賑やかに楽しく生活していて、唯一一人になれる感じがあったのが、書くということだったんですよ。本を読むのは好きだったんですが、それもなにか、賑やかななかで読んでいる感じでした。でも小説を書いている時だけは、世界の中にポツンと一人でいるような気がしたんです。たぶん、小説を書きたいというよりは、一人でいたくて、だんだん病みつきになっていったというのが、小説を書くようになったきっかけとしては一番しっくりくるのかもしれない。

――そもそも、どうしてそんな居候生活をしていたんですか。この先どうなろうとか考えていたんでしょうか。

吉田 何も考えてなかった。恐ろしいね。伏線もなし、回収の見込みもなし(笑)。

――どんな仕事をしていたんですか。

吉田 本当にいろいろやってますよ。大学を卒業して社会人になった時期にやっていたのは、エアコンの掃除とかメンテナンスの会社でしたね。今回『橋を渡る』のなかにちょっとだけ、その仕事のことが出てきます。あれは結構長かったかな。あとは実家が酒屋なので子どもの頃から配達は慣れているんですよ。だからトラックで自動販売機の補充に回る仕事とか、ウエイター、バーテンダー、引っ越し屋……。

――世之介がホテルでバイトするでしょう。あれもやったんですか。

吉田 やってますね。博多のニューオータニで(笑)。大学の夏休みに博多の友達のところに遊びに行って、そのまま居着いちゃって(笑)。

――そうしているなかで、パソコンで小説を書き始めたわけですか。

吉田 いえ、キャンパスノートに横書きで、手書きでずっと書いていました。パソコンどころか、ワープロも持ってなかったし。何作か書いてみて、はじめて1作書きあがったのが27歳の時。それが「Water」という作品でした。そこで『文學界』に応募したんです。そうしたら最終候補に残って。当時居候させてもらっていた友人の家に文藝春秋から電話がかかってきて……。