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九代目 松本幸四郎×七代目 市川染五郎 ひとつ道をきわめる

JR東海

今春、会社発足30周年を迎えるJR東海。鉄道という1本の道で技術革新を進めてきた。歌舞伎もまた、ひとつの道を守り、旧きを温め確信を織りこみ、芸の高みを追求する。来年、37年ぶりの三代同時襲名を果たす高麗屋の2人が語る、人生の旅への覚悟とは

まつもと・こうしろう 1942年生れ。81年、九代目襲名。当り役「勧進帳」弁慶等。ブロードウェイで「ラ・マンチャの男」英語単独主演。

幸四郎 「新幹線をつくった男たち」というテレビドラマで主人公の国鉄技師長・島秀雄さんを演じさせていただいたことがあります。その時、感銘をうけたのが、新幹線の敷設予定地を工事関係者がすべて歩いて確認したという話。

染五郎 東京・大阪間は500キロ以上あるでしょう。

幸四郎 新幹線には安全を守る「七人の侍」がいるということも知った。夜中にレールや架線の保守作業をした場所を、7人1組のグループが横1列に並んで足元をライトで照らしながら目を凝らして歩く。ボルト1本でも落ちていたら事故につながるからね。そのあと確認車を走らせて初めて朝一番の列車が動くという話。芝居も同じで、裏方さんは舞台の準備や点検を全員で力を合わせてやってくれているでしょう。見えないところで安全を守ってくれている。

染五郎 歌舞伎は小道具ひとつでも骨董品の扱いだったりといろいろ細かな決まりがあるし、10人がかりで着る衣装や舞台の仕掛けを動かすなど力の仕事も多い。そういう日々の支えがあって、舞台の上での私たちの演技があるんですよね。

2018年1月、2月の歌舞伎座公演より、松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎の襲名披露興行が行われる。親子三代同時襲名は1981年の「初代白鸚、九代目幸四郎、七代目染五郎」以来の快挙。(写真は発表記者会見)

幸四郎 このたびの三代同時襲名はその最たるものだと思います。だから来年を目指して僕らは、松竹の会社の裏方さん、表方さん、皆さんと一緒にやっている気持ちです。襲名興行の2年間は皆で日本中を縦横に移動することになる。

染五郎 去年、僕は7月の歌舞伎の巡業公演があって1ヶ月に30箇所近く回ったけど、こんな移動が可能なのは鉄道が便利になったからだって思いましたね。

僕の人生は「旅」だと思っている。

幸四郎 忘れもしない小学校の修学旅行、後半がお芝居の稽古に重なって、僕は京都駅を夜出発する列車でひとり、東京まで戻ったんだよ。お握りを食べたりしながら6、7時間はかかったね。その頃からかな、僕の人生は旅だと思っている。旅をすると人間は心が優しくなるね。昔の駅はエスカレーターなんてなかったから、駅の階段をお弟子と手分けして荷物持って上り下りするんだけど、空いてる手でお年寄りの荷物を持って差し上げたり。何だか道連れのような気がしてね。本も読めるし、旅は人の心を潤すんだね。

染五郎 僕の場合は、これから劇場に乗り込むわけで、台本とにらめっこしたりビデオを見たり、降りる駅が近づくにつれて不安がどんどん上がってくる感じですね。

幸四郎 新幹線は正確だから、舞台に間に合わない不安はないんだよね。駅に着く、皆さん当然のような顔で降りられるでしょう、その信頼関係は実はすごいこと。

染五郎 遅延はほとんどないし(※1)、乗客の身に及ぶ列車事故はゼロとか。人間がやる限り完全はないんだけど、それでも100パーセントを目指し続ける姿勢に共感を覚えますね。

幸四郎 君も100パーセント頑張ってますよ。

染五郎 いやいや。でも生でやるわけだから、失敗は100パーセントできない。ということは「まぐれ」ではいけないので、技術を身につけなければと思っています。その上で何が生まれるか。台本は同じでも、お客様にはどうなるかわからない感覚で楽しんでいただきたい。相手役との呼吸やお客様の温度、その時でないと生まれないものが必ず出てくるし、だから自分も毎日やることができる。劇場がとっても大きく感じて、自分は点のようだと思うこともあるし、この空間を支配したという瞬間もあったりします。好きだからこそ悩んだこともあったけど、目指し続ける気持ちがあれば、そういうものに出会ったりできるんじゃないかなと思って。

※1 天災も含む平均遅延時分は0.2分(平成27年度実績)。

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