文春オンライン
なぜ嫌いな人のSNSをわざわざ見てしまうのか?

なぜ嫌いな人のSNSをわざわざ見てしまうのか?

鈴木涼美さんに聞いてみた。

2017/04/12

Q 大嫌いな人のSNSをわざわざ見にいって、腹を立てることがやめられません

 大嫌いな人のSNSをわざわざ見にいって、腹を立てることがやめられません。見れば必ず不快になるとわかりきっているのに、どうしてわざわざ見てしまうのでしょうか。(30代・女性)

A 嫌いという感情から解放されたいからではないでしょうか?

 これは私もとっても興味のある問題です。ネット掲示板などでものすごく偽悪的になって人の悪口を言っている人も、必ずその悪口の対象となっている人のブログやSNSをものすごくこまめにチェックしていますよね。嫌なら見なきゃいいのに。私も一応メディアに文章や顔を出している手前、公向けにツイッターやブログを開設しましたが、わざわざコメントなどで「ブス」だ「バカ」だ書かれていると、じゃあなんで見ているんだよという気になります。

 ただ、立場を入れ替えてみると、別に掲示板で暴言を吐いたり、攻撃的なリプライをしたりはしなくても、なんとなく鼻につく人の言動をつい見てしまう、その心理はわからなくはありません。むしろよくわかります。直接的には色々と理由付けすることはできると思います。批判するための粗探し、自分の方が優っている箇所を探して優越感を得たい、ただ監視したい、心の中で悪態づきたい。

ADVERTISEMENT

 嫌いなものを嫌いで居続けるにはある程度の情報が必要ですから、おそらく嫌いな人の近況をみるというのは、その嫌いという感情を絶やしたくないという気持ちがあるように思います。人間、割と便利にできていると私は思っているので、記憶から消し去りたいものは自然と避けますし、そのうちその憎しみの感情も薄れていきます。しかし、終始その人の言動を見ていると、忘れたり気持ちが和らいだりすることもなく、強い嫌悪感を持ち続けられるわけです。

人を嫌う、とはどういう事態なのか

 なぜ、嫌いでい続けたいのでしょうか。そもそも人を嫌うというのは本来的にどういった事態なのでしょうか。もちろん、直接的なきっかけは千差万別、色々あると思います。個人的に攻撃をされた、恋人をとられた、過去の発言に不快にさせられた、自分より恵まれた環境に嫉妬する、ただただ鼻につく、顔や考え方が気に食わない、などなど。しかし、そのきっかけがそれぞれバラバラでも、ひとたび嫌いという状態になってからは、おそらくそこにある気持ちはとてもシンプルです。その人の存在を尊び敬うことができないのです。

 尊べないということは、自分よりも優れた存在であると認めたくないということです。そしてそんな自分よりも劣った存在である人に、できれば何の問題もなく自分より幸せにはなって欲しくない。そういった意味ではSNSでその人の状況をチェックしたいという気分は理解できます。特に、自分が満足できるほど幸福感を感じていない時、自分の幸福がなかなか危うい時であれば尚更です。自分が下位の方にいれば、その人の幸福が自分を上回ることが十分にあり得るわけですから。

できればちょっと好きになりたい

 例えば気に入らない芸能人のSNSを見たり、報道を見たりして、ものすごくロクでもない人と結婚する姿や自虐的な不幸話に、少し嫌いの感情が和らいだ経験はありませんか? 私は、嫌いな人をついつい見てしまうという心理の根底には、自分より幸せになっていないかチェックしたい、不幸を確認して安心したい、という他に、どこか綻びを見つけて少し嫌いという感情を和らげたいという気持ちも入り混ざったとても複雑な気持ちがあるように思います。嫌いという負の感情は、抱いているだけでは相手にそれほどダメージはありませんが、自分自身にダメージやストレスがあるから、できればちょっと好きになりたい・好きになってこの苦しみから解放されたいという気持ちもわずかにはあるように思うのです。

「○○さんに聞いてみた。」のコーナーでは、みなさまからの質問を募集しています!

質問投稿フォーム

なぜ嫌いな人のSNSをわざわざ見てしまうのか?

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー