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連載NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台 真田氏ゆかりの地をめぐる

第19回【紀見峠】信繁が九度山を脱出し、大坂城へ入ったルートを考察

『真田三代』 (火坂雅志 著)

2016/11/18

genre : エンタメ, 読書

note

●信繁の大坂入城の年齢

 信繁が大坂城に入ったのは何歳の時だったのだろう。定説となっている永禄10年(1567)誕生説に従えば、数え年48歳となり、「長国寺過去帳」などによる元亀元年(1570)誕生説をとれば、数え年45歳となる。「長沢聞書」によると、信繁の入城時の年齢は、「外見上では44~45歳」となっているが、定説に従えば少し若く見えたことになる。

 連載第15回で記したように、当時信繁は歯が抜けて髭にも白いものが目立つような外見だったわけだから、決して若くは見えなかったことになる。しかし、再び戦いの場、武士としての最後の働き場所を得られた喜びが信繁を若返らせたのかもしれない。

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●紀見峠を歩いてみた

 岩倉氏の説では信繁たちは紀見峠を通過しておらず、筆者もその説を支持するが、『徳川実紀』には紀見峠を越えたとあるし、高野山の僧侶は紀見峠を通っていると考えられる。ということで、どんなところか、実際に歩いてみた。

「紀見峠」は駅名にもなっている(南海高野線)。駅前の看板によると、紀見峠駅から紀見峠の碑がある場所までは徒歩40~50分
駅からひたすら登る。道は舗装されたアスファルトなので歩きやすい。ところどころ田園風景も望める
20~30分ほど歩くと道が細くなり、山の中を歩いている感じに
広い道路と合流。左方面へ
しばらく登り
紀見峠駅出発してから約40分で紀見峠到着
今から400年前、ここを高野山の僧が大坂城を目指して通ったかもしれないと想像するとわくわくする
ちょうど大阪府と和歌山県の県境に位置している
ちなみにさらに細い道を上に登ると「岡潔生誕の地」の碑がある
左:情緒の道にも指定されている/右:番所跡の碑も

 紀見峠駅から紀見峠まで歩いて行く場合、道はアスファルトの道路なので歩きにくいということはないが、延々と登りが続くので歩きやすい靴とザック、服装など、登山・ハイキングの装備で臨むことをお勧めする。

紀見峠
南海電鉄高野線「紀見峠駅」から徒歩40~50分

取材協力/岩倉哲夫氏、九度山町産業振興課真田丸推進室

真田三代 上 (文春文庫)

火坂 雅志(著)

文藝春秋
2014年11月7日 発売

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真田三代 下 (文春文庫)

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2014年11月7日 発売

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第19回【紀見峠】信繁が九度山を脱出し、大坂城へ入ったルートを考察

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