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ほろ酔いエッセイ「道ならぬ恋」ラズウェル細木

 かつて「道」を好きになってしまったことがある。

 どれぐらい好きかというと、全身を投げ出して横たわり、ピタッとカラダを密着させて眠りたくなるほど……。

 それは文京区の南端、関口の神田川にかかる駒塚橋のたもとから目白台へ上がる道なのだが、急坂のふもとに「胸突坂」と書かれた石標が建つ。歩行者のみが通れる幅一間あまりの石段で、名前の通り上るのにケッコー骨が折れる。

 素晴らしいのは、そのロケーションだ。坂の東側は、かつて松尾芭蕉の庵のあったところで、現在は戦後に復興された建物が建つ。塀の向こうにその芭蕉庵の樹木が茂り、隣接する椿山荘の庭園も覗く。一方、西側は水神社という小さな社が建ち、背後は肥後熊本の細川家の大名庭園であった肥後細川庭園(旧新江戸川公園、ごく最近改名)の杜で、全体にかなり鬱蒼としている。坂を上ると、西に細川家の宝物などを収める永青文庫、東に明治政府の大臣田中光顕の旧邸であった蕉雨園の数寄屋風の建物が連なり、やがて目白通りに出る。

 三十年あまり前、すぐ近くの早稲田に住んでいた私は、そこの風景に魅せられ、朝な夕な四季折々に散歩していた。淡雪積もる早春、五月闇の初夏、蝉時雨(せみしぐれ)の真夏、枯葉舞う錦秋、北風吹きすさぶ厳冬……と、季節や時間ごとに様々な表情を見せるその道を想う気持ちは募る一方で、しだいにそれはほとんど恋心と言っていいまでになっていった。

 ところで、話は変わるが、酔っぱらいにとって、酒を飲んでの帰り道は難儀なものである。フダンなら十分の道のりが、酔っていると三十分歩いてもまだ着かない……なんて。

 電車も油断ならない。まず怖いのは乗り越しだ。せっかく終電に間に合ったのに、眠りこけて見事に乗り越し、大枚はたいてタクシー帰り。何のために終電目指して走ったのか……。

 その対策として、いかに空いていても座らない、というのがある。しかし、一度、扉の横で立ちながら眠って乗り越したことがあるので、絶対安全とも言いきれないが。

 もっとびっくりするのは、まったく帰り道と関係のない電車に乗ってしまうこと。なんでこんな電車に……と、途中で我に返って愕然とする。

©iStock.com

 それは、前述の早稲田に住んでいて、浅草でしたたか飲んで帰路についたときのこと。地下鉄銀座線の浅草駅から乗って、途中、日本橋で東西線に乗り換えて早稲田で下車するというのが通常のコースだ。

 ところが、ハッと目覚めると、なぜか池袋行きの丸ノ内線の電車の中。どんな経路をたどってそうなったか見当もつかないが、まったく関係のない路線だ。そして問題は、それが終電だということ。状況をのみこみ、どうやったら早稲田まで帰りつけるか思いをめぐらす。一番近いのは茗荷谷(みょうがだに)だ。

 ともかく茗荷谷で降りて、早稲田を目指して歩き始める。タクシーなど乗る経済的な余裕はない。茗荷谷から早稲田へは直線距離ではさほどでもないが、台地を二つ越えねばならずアップダウンがはげしい。ブラタモリ的にはおもしろい地形でも、酔っぱらいにはちとヘビーだ。小日向台(こひなただい)を越えて音羽の谷を過ぎると、次は目白台。それをどうにか上りきって、ようやく目白通りまで来た。ここまで四、五十分といったところか。あとは例の「胸突坂」を下るだけだ。

 大好きな道までたどり着いて、もう半分家に帰ったようなホッとした気分。いつもよりいっそういとおしく思えて、坂の手前で思わず仰向けになった。すると、背中に感じるアスファルトの感触がやたら心地いい。時は晩春、風も道も冷たくなく、先は石段なので車が通る心配もない。

イラストレーション・ラズウェル細木

「ああ、大好きな大好きなこの道でこのまま寝てしまおう……」と思い、うとうととした途端、「大丈夫ですかっ?」という声に起こされた。

 見ると、若い男子ふたりが心配そうにのぞきこんでいる。近くの寮の学生のようだ。「あ、大丈夫です」と言いながら私が起き上がるのを見ると、ふたりはコンビニでも行くのだろうか、その場をあとにした。

 興が醒めて再び横たわる気にもなれず、恋路を邪魔されたような腹立たしさをおぼえながら、坂を下って自宅へとたどりつき布団で寝た。

 今、あらためて振り返ると、若者ふたりの行動は至極当然で感謝にたえない。晩春といっても明け方は冷える。あのまま寝込んでいたら風邪のひとつもひいて、最悪肺炎でも引き起こしかねない。いかに好きな道といえども、優しく布団をかけてくれたりはしないのである。

 早稲田を離れて相当な年月が経ち、胸突坂ともすっかり縁が薄くなってしまった。しかし、あの道を通るときの恍惚と陶酔は今も忘れない。今の家の近所にも気に入った散歩道はあるが、恋心を抱くまでには至らない。

 すなわち、あれ以降、一切の“浮気”はしていないのである。

 

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文藝春秋
2017年3月22日 発売

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