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宇多田ヒカルの初代ブレーンが語る大ヒット確信の瞬間

”小室ブーム”を終わらせた15歳の天才少女

2017/09/17

source : 文藝春秋 2016年1月号

genre : エンタメ, 芸能, 音楽

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 1998年12月、1枚のCDが発売された。これまでの日本の歌謡曲にはないクールな曲調と切なさをはらんだ歌詞と歌声。その『Automatic』という曲を歌っている宇多田ヒカルの存在は当初謎めいていたが、徐々に15歳であること、藤圭子の娘であることが伝わって注目度がアップ。翌年3月に発売されたアルバムは、860万枚を超える大ヒットとなった。

©getty

 ブレーンとして宇多田ヒカルのデビューにかかわり、平井堅やCHEMISTRY、EXILE、JUJUなどのプロデュースでも知られる音楽プロデューサーの松尾潔氏(47)が、当時の鮮烈な思い出を語る。

誰もを引き込む生意気な15歳

『Automatic』の歌い出しは、「7回目のベルで」が「な、なかいめのべ、ルで」という独特の“字切り”になっています。このこなれていない、拙い感じは、プロとしては気になる。僕がディレクターなら修正しただろうと思いました。そこであるとき、少し皮肉を込めて彼女にそのことを聞いたんです。「この部分って、よく直されなかったね」。すると彼女は、すぐにこう言い返してきたんです。

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「作曲家の権利があるだろう!」

 その生意気で、こまっしゃくれた回答、男の子っぽい言い回しに思わず笑ってしまいました。15歳とは思えない意識の高さもすごかった。やることなすこと、気が利いていて、誰もがその魅力に引き込まれていく。あの頃は、まるで宇多田ヒカルを中心に世界が回っているかのようでした。

「本当に日本人ですか?」

 僕が最初に彼女の歌声に触れたのは、デビューの数ヶ月前です。当時の東芝EMIのプロデューサーから「ちょっと聞いてみて」と渡されたのは、後に『Automatic』のカップリングとなる『time will tell』という曲でした。僕は、その曲を聞いた瞬間に驚きました。日本人の声なのに、R&B、黒人音楽、洋楽っぽい雰囲気を色濃く持っている。それまでも黒人っぽく歌うシンガーは、日本にもたくさんいました。でも彼女の歌から感じたのは、それを学んで身につけたのではなくネイティブとして生まれつき肉体に備わっているということでした。

「誰なんですか? 本当に日本人ですか? どんな顔をしているんですか?」

 たった1曲で僕は、彼女に魅了され、その後オフィシャルライター業務を中心としたブレーンのひとりとしてプロジェクトチームに参加することになりました。彼女がまだ15歳であること、そして藤圭子さんの娘であることは、あとから知らされ、ふたたび驚きました。

 2年前、沢木耕太郎さんが書いた若き日の藤圭子さんのノンフィクション『流星ひとつ』を読んだら、おきゃんでイキイキとしていて、そして紛れもない天才だった藤さんが描かれていました。それは、まさにデビュー当時の宇多田ヒカルと重なります。彼女に圧倒的な才能があったのは言うまでもありません。でもあそこまで大ヒットしたのは、彼女が藤圭子の娘だったからという理由もあるでしょう。芸能界において、血は大きなファクターです。彼女は戦後有数の大スター、藤圭子の娘であったからこそ、“日本国民の娘”になりえたのです。