文春オンライン

夢か幻か……創業80年、田町にたたずむ伝説のパン屋の物語

各駅停車パンの旅 田町駅編

2017/04/15

 田町は知っている場所のように思っていたが、いつも降りていたのは三田口であり、芝浦口には降りたことがなかった。鼻を突く潮の香りは、ここが海辺であることを告げていた。

 朝6時半の芝浦を歩いていった。何度も運河を渡った。タワーマンションがそびえ、頭上をモノレールが走る風景は、小学生が描いた未来図さながら。すぐその横には古いタバコ屋や物流倉庫が忘れられたように建っている。過去と未来が混ざりあった風景の中を歩いていると、まるで夢の中にいるみたいな錯覚に陥った。

頭上を通過するモノレール
田町は運河の町だ。縦横に水路が流れる

赤いテントの店にたどり着く

 その気分は、パン屋にたどり着くとますます確かになった。立ち並ぶビルのあいだに一軒だけモルタルの平屋が朝日を浴びている。赤いテントと表の自販機で店であることがわかる。道路をはさんで向かいは岸壁。すぐそばの海にはレインボーブリッジの巨大な橋脚が怪物めいてそびえ立っている。目の前をゴジラが歩いていったらきっとこんな感じだろうというスケール感で。

ADVERTISEMENT

右下の赤いテントがパン屋。目の前に海を覆い隠すように建つレインボーブリッジ
古めかしいモルタルの建物。広々とした道に面して車が停めやすいので、運転手の憩いの場となっている
向かいの波止場から伊豆七島方面への船が出ていく

 港町のパン屋がこの東京にあり、レインボーブリッジに踏まれそうになっている。そして、さらに不思議な光景が、ドアを開けると展開する。木製のショーケースにずらっと並べられたコッペパン、ヤマザキの袋パン。タバコ、牛乳。ポッキーのポップの中で微笑んでいるのは牧瀬里穂。ここはいったいいつだ? 突然訪れた状況を理解できず、瞬間的に頭が真っ白になる。タイムスリップ。そんな言葉が頭をよぎる。

ヤマザキの袋「よいパンのえらびかた」。何年ぶりに遭遇しただろう

客はみな顔見知り

 表にタクシーが停まる。運転手が入ってきて両手で○を作る。それに応じて店主も○を作る。「両替OK?」「いいけど面倒くさいから自分で取ってってよ」。釣り銭の入った箱をぶっきら棒に手渡す店主と、小銭を漁る運転手。2日に1度必ず会う(タクシーの勤務は24時間交代だから)彼らの演じる、ゲームだった。

 やってくる客やってくる客みな顔見知り。タバコとパン、あるいはパンと牛乳。買うものはもう決まっていて店主が値段を言う前から小銭を出している。数字の2を手で作っただけでフィリップ・モリスが2個手渡されたり。「最近忙しいの?」「ゴルフどうだった?」一言二言会話があり笑顔が交わされる。その一瞬を求めて朝の忙しい時間に客は飛び込んでくる。すぐ向かいにも裏にもコンビニはあり、たくさんの商品がそこに並んでいるにもかかわらず。

 この店に来たことのある客として店主の口から挙がるのは驚くべき名前だ。カリスマロックスター、CMの女王、人気お笑いタレント…。芝浦はスタジオの密集地でもあり、この店で朝食を買い求めるのは、徹夜で行われる広告撮影のいい息抜きになるらしい。

「うちはなんちゃってパン屋だから」と昭和31年生まれ(1956)の店主は言う。自分の店でパンを作っているわけではない。コッペパンもヤマザキから仕入れたもの。私が子供だった40年も前には、いまみたいなおしゃれなパン屋はなくて、これがパン屋の普通の姿だった。失われた原風景に私は不意に戻ってきたのだ。

 既製品のパンとはいえ、サンドにするのは店主の仕事。毎日1時前に起きて5時の開店に向けて一人で作る。からあげロール、ツナロールから、カキフライロール、イカフライロール。オーシャンロールはかにかまをマヨネーズで和えたもの。海のものが多いのは港町だからか。

岸壁に置いたハムタマゴとオーシャンロール

店は昭和11年からある

 5時にならなくても客がくれば開ける。「用もないのに話をしていく奴がいるよ。こっちは忙しいのにさ。おもしろい客がいるよ。おばあちゃんがやってきて、交番の場所を聞くから教えてやったら、しばらくしてまた交番の場所を聞きにくる。3度目にきてわかったよ。これは徘徊だって」。暗い町に1軒だけ灯りのついたこのパン屋は誘蛾灯のように人を集める。パンを買う一瞬だけ、人はつきまとう孤独から解放される。

 店は昭和11年(1936)からある。「はじめは酒屋だった。戦後は運河のたもとに移ったんだ。そこが俺の生まれた家。運河からこっちはぜんぶアメリカに占領されたからね。東京オリンピックの年(昭和39年[1964])に返還された。それでこの場所に戻ってきてパン屋になったんだ。あの年まで日本人は卑屈に生きていたよ」。沖縄の話ではない。この東京もアメリカの占領下にあった。

店の目の前のロータリーに、東京オリンピック以前は黒人の兵士が立っていた
高層ビルと運河と倉庫群。マンハッタンの外れで見た風景に似ていた

昔は3000個売れた

 いろんな時代を見てきた。「80年ぐらいまでは、ジャンプやサンデーの発売日に行列ができたよ。天井まで積んだのがぜんぶなくなった。がたっと売り上げが落ちたのは小泉のときから。景気が悪くて節約しないといけないんだ。3000個パンが売れたときもあったけど、いまは300個」。

 ときどき客に「ごめんねごめんね」とひどく謝る。不況のあおりで取次業者が業務縮小し、数日前から新聞が販売できなくなったという。まるで昔のままに見えるこの店にも時の流れは押し寄せている。

「不動産屋や建設会社がいっぱいくるよ。ここにビル建てて1階はコンビニにしろって。俺は嫌だよ。そんな金もらったっておもしろくねーよ」。この都心にビルを建てて転がり込む金額は巨額だろう。すぐそばで林立するタワーマンションがそれを物語っている。

 店主は、牛乳やジュースが置かれた冷蔵ケースの中の紙袋をうれしそうに指差す。「あれ、くさやの干物。三宅島出身のお客さんがくれたんだ。いいって言うのにさ、お客さんみんなおみやげくれるんだよな。こんなことがあると商売やめられなくなっちゃうよ」。やめないでほしいと私も思う。毎朝数十秒の幸福を客たちに与える、これは彼の天職にちがいない。

「ハイ、仕事の時間。サイナラ」。時計が8時を指した頃、店主は突然そう言い捨て、私を店から追い出した。背後でガチャンガチャンと自動販売機にジュースを補充する音が聞こえた。

 田町駅まで戻ってくる。駅からあふれだした通勤の人波に飲まれ、私は現実に引き戻された。まぎれもなく2017年の東京でしかない。タイムスリップのような旅は終わった。

朝8時半、駅からあふれた通勤客の大群が運河を渡ってオフィスへ向かう

写真=池田浩明

夢か幻か……創業80年、田町にたたずむ伝説のパン屋の物語

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー