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京唄子、89歳の生涯 女優としてのプライドと苦労した私生活

2008年には「上方演芸の殿堂入り」を果たす ©文藝春秋

「また舞台に立ちたい」

 昨年夏、入院中のベッドで口にした最後の言葉だった。それからおよそ8カ月――。漫才師で女優の京唄子さんが4月6日、肺炎により89年の生涯を終えた。大阪の演劇関係者が振り返る。

「京さんは18歳で劇団に入り女優の道に進みましたが、鳳啓助さん(故人)に誘われて漫才の世界に転身。京さんの吸い込まれそうな大きな口とツッコミに対し、啓助さんの軽妙なボケで人気を博した。その後、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)などで女優としても活躍。自分の劇団も作りましたが、09年に腰椎圧迫骨折で芸能活動を中止。翌年、一時復帰しましたが、結局回復せず、女優活動も完全休止しました。要介護状態になってからは、親交のあった上沼恵美子(62)のお見舞いも弱った姿を見せたくないと断っていた。最初の夫との娘・鵜島節子さん(67)が通夜で『プライドの高い人でした』と語ったように、最後まで女優としてのプライドを貫き通したのでしょう」

 女優としての意識の高さは服装にも表れていた。

「花柄から真っ赤な原色系まで、派手なスーツをきちんと着こなしました。その服に合わせた帽子をいつも被り、唄子さんのトレードマークでした。新幹線の中でも帽子は被ったまま。変装する今の女優とは真逆で、実に堂々と目立っていました。相撲が大好きで大阪場所になると桟敷席で派手な服で観戦し、NHKもよく京さんを映していた」(在阪テレビ局元幹部)

 一方、私生活では3回離婚したように苦労の連続だった。ベテラン演劇記者が明かす。

「2度目の結婚相手が漫才コンビを組んだ啓助さん。“夫婦漫才”の先駆者として成功したのですが、京さんが啓助さんを“エロ河童”と呼んだように、女遊びに苦労していました。結局、離婚しましたが、漫才コンビは継続。人気はさらに上がり、冠番組『おもろい夫婦』は人気になった。その間に3度目の結婚を芸人としましたが、やはり長く続かず離婚。ようやく落ち着いたのが、10歳年下の舞台俳優である今の夫でした。彼は節子さんと一緒に介護をして最期を看取った」

 ただ、節子さんは「お母さんをここまでしてくれたのは啓助さん」と語っていた。

 夫婦漫才は天国で続く。