文春オンライン

『かたづの!』が柴田錬三郎賞、『長いお別れ』が中央公論文芸賞を受賞した現在の気持ちを語る――中島京子(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/11/14

genre : エンタメ, 読書

note

『かたづの!』の清心尼がまだあの世に戻っていない感じも

瀧井朝世(左)

――タイムリーな小説だと思いました。震災のことも含まれているし、決して戦わない、でも屈せずに逆境と戦った清心尼の意志と決断力は、今の時代の自分たちに訴えてくるものがあります。女性の生き方についても示唆がありますしね。

中島 そうですね。本当にびっくりしますよね。最初は震災のことがあったから、この土地で生きて苦難を乗り越えた女の人の話を書こうと思ったんです。今困難に直面しているその土地に、昔も困難に直面した女の人がいて、強く生きたんだってことは書いたほうがいいと思って。それで書き始めたんですけれど、そのうちに世の中がちょっと不穏な感じになってきたんです。2012年の暮れに書き始めて13年いっぱいくらいで書き上げたので、その頃は安保法制のことはまだ話題になっていなかったんですけれど、時代が変わってくる感覚はすごくありました。

 そのなかで書いていると、戦はしない、殺し合いはしないということを貫いた清心尼が、「私は今、言いたいことがある」と言い始めた気がしてきて。こうやって本が出た後もちょっと話題になり続けているのは、清心尼がまだあの世に戻っていないからという感じもします(笑)。もちろん、本当に読者や選考に乗せてくださった方々のおかげです。それに加えて、時代がこういうものを読もうかな、読んで考えたいなって空気があるんだなとも思います。

ADVERTISEMENT

――清心尼が「私はまだ訴えたいことがある!」と言って居坐っていそう(笑)。そして絶妙なのが、語り手を一本の角にしたところです。清心尼が15歳の頃に山で出会って可愛がった一本角の羚羊(カモシカ)が、死んだ後も角に魂を宿して、彼女の傍に残るんですよね。その角の語り口にユーモアがあって、すごく楽しい。

中島 古い時代のことを書いたことがないので、半年くらいどういう語り口にするかというのが決まらなかったんです。題材自体は決まったし、むしろ私に書けと言っているようなプレッシャーすらあるのに、書けない。時代・歴史小説っぽい、ものすごく客観的な三人称の文体で書こうとしても、それでまるまる一冊は書けないと思ったし、清心尼の一人称で書いてもうまくいかない。書いたり消したりして最終的に辿りついたのが、あの角だったんです。

 清心尼は八戸から遠野に国替えを命じられて行くわけですけれども、遠野に片角伝説というのが残っているんですよね。その片角が羚羊の角だったということから語り手を思いつきました。『遠野物語』の遠野だという意識が最初からあったので、不思議なものは出てくるかなとは思っていたんです。でも作為的に出そうと思っている以上に、そうしたものがピョコッと顔を出して助けてくれました。人間だけの話だと、暗く殺伐としてきちゃうので、そこに動物たちが現れて、書き手の私を救ってくれたような感覚がありました。角や河童といった動物や妖怪みたいなものも含めて、土地に残っている伝説や言い伝えはずいぶん使いました。

――たった一人で困難に立ち向かった女性の生涯を、人知れずずっと見守っていた存在がいたことに心打たれます。その片角が語り終える時、つまりこの小説のラストも沁みますね。

中島 最後は私の耳元で角がしゃべっていて、「じゃあ、八戸に帰るから」って言って、帰っていったような気がしていました。

――角は帰ったのに、清心尼はまだまだいるという(笑)。

中島 そうそう。書き終えた時、角はちゃんと役割を終えて帰ったのに、清心尼は「これからが私の出番だ」みたいな感じで、全然帰らない(笑)。

関連記事