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奥野 修司
2017/04/22

団地はかつて「夢のマイホーム」だったーーひばりが丘団地「夢の跡」#1

50年後のずばり東京――建て替えても高齢化は止まらない

筆者の奥野修司氏 ©文藝春秋

「開高健の『ずばり東京』から50年後の東京を描くとしたらどんなテーマを選びますか」と編集部から尋ねられたとき、反射的に「団地」と答えていた。

最先端の「ダンチ」を夢見た子供時代

 団塊の世代に育った私にとって、団地はまばゆく輝いている。今では想像もつかないだろうが、日本住宅公団(昭和30年設立)の団地には、時代の最先端をいく未来の生活があったのだ。「団地」と書くよりも「ダンチ」がよく似合った。

 そんなイメージがインプットされたのは、小学生の頃だったと思う。母が見ていた雑誌に、昭和34年に皇太子(当時)とご結婚した美智子さまがエプロン姿で台所に立っているグラビア写真があった。母の話では、団地の台所は美智子さまが立つ台所とそっくりなのだそうだ。

 ステンレスの流しがあって、蛇口をひねればいつでも水が出るし、マッチ1本でコンロに火がつく。そのうえ建物がコンクリートだから、地震があっても大丈夫――。

 そんなことをまるで夢見るように語っていた母の姿が浮かぶ。それを聞いて、まだ子供だった私も、まるで未来の生活をのぞき見るかのような気持ちになった。

戦前のままだった田舎の我が家

 当時のわが家といえば、田舎ゆえに建物こそ大きいが、まだ見ぬ団地の生活とはまるで正反対だった。

 井戸は建物の中にあったが「つるべ」で汲み上げ、それを水壺に貯めて使っていた。土間にはへっつい(かまど)があって、薪に火をつけて煮炊きするまで準備に2、30分はかかった。食卓と台所が離れていたから、母は家族と一緒に食べたことがない。風呂は五右衛門風呂で、トイレは外にあったから真冬の夜などとても行けたものではなかった。

 戦後、「個人」が強調されることで「私」の部分が広がったが、わが家にはプライバシーなどかけらもなかった。昭和31年に発表された政府の経済白書が「もはや『戦後』ではない」と高らかに謳いあげても、田舎に住んでいたわが家は、戦前のままだったのだ。そこに、SF映画にでも出てきそうな団地が登場したのである。

 それはまさしく、夢が詰まった「マイホーム」だった。

皇太子ご夫妻も視察に

 東京・池袋から西武池袋線の急行で約15分。ひばりヶ丘駅で降りると、駅前で西武バスに乗って5つ目のバス停「ひばりが丘団地」で下車する。乗車時間は約5分。乗り換えを考えなければ都心から20分だ。

 昭和31年に団地第1号として建てられた金岡団地(大阪府堺市)以降、旧日本住宅公団(現在のUR都市機構)が供給した住宅戸数は約158万戸。現在、管理しているもので1692団地、約75万戸ある。

 その中から、昭和34年に完成した「ひばりが丘団地」を取材対象に選んだ。東久留米市と西東京市にまたがる敷地約34ヘクタールの日本で最初のマンモス団地である。すべて賃貸物件で、当時の入居戸数は2714戸。最盛期には約9000人が住んでいた。

 なぜひばりが丘団地を選んだかといえば、昭和35年に、当時の皇太子ご夫妻がアメリカ訪問の前に、西洋風のライフスタイルを体験されるためにひばりが丘を見学されたことがきっかけで、団地ブームが始まったとされているからだ。

 だが、私はひばりが丘でバスを降りると「あっ」と声を上げた。これまで想像していたものとはまったく違った風景がそこにあったからだ。

建て替えで高層化したひばりが丘団地 ©文藝春秋

URによる再生事業 

 かつてはそこに、4階建てで、各棟に数字の書かれた団地然とした集合住宅が並んでいたはずだが、今は7階建てから12階建ての“マンション”が向き合っている。真新しい特別養護老人ホームや介護保健施設が建ち、別の一画には分譲開始前のマンションが整然と並び、そこには大手不動産会社の看板が見える。かつてソメイヨシノの並木があり、春になると桜のトンネルができたという通りでも、寿命を迎えた桜は切り倒され、ひょろっとしたサトザクラが植えられているだけだ。

 URは平成11年から古くなったひばりが丘団地の再生事業を始め、これまでの賃貸住宅を高層化すると同時に戸数も半分強に減らした。そして約34ヘクタールある敷地の半分近くを民間デベロッパー4社に売却。その土地に10~12階建ての民間分譲マンションが建ち、今も建設途中の区画もある。

 URの賃貸住宅に囲まれるように広場があり、そこに1棟だけかつての団地の建物が残されていた。上空から見るとY字型をしている、当時は羨望の的だった「スターハウス」だ。今はURの管理事務所として使われており、その横には皇太子ご夫妻が手を振ったというベランダがモニュメントとして残されている。他にも当時の建物がサービス付き高齢者向け住宅として改築されて使われているが、それらの建物からかつての団地を想像するのは難しかった。

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