かの超ヒット『女々しくて』から、はやもう八年である。気がつけばゴールデンボンバーに対する社会の認識も、あの――誰の目にも一発屋としか映らなかった――頃とは随分と違ったものになってきた。
おそらくポジションとして“際物”であることその基本はずーっと揺らいではいまい。ただその“際物”としての世間の見方――扱いといってもいい――は変わった。
いずれにせよ、この八年の歳月のなかでのいちいちの振る舞いが、彼らを風化から遠ざけたというのが私なりの見解なのだが、それもあながち全くの的外れではないと、そういい切れるぐらいの根拠は俺にもあるよ。
何故といって、少し俯瞰してみれば、行き当たりばったりに映ることも多かった一連の活動にも、しっかりとした通奏低音は確認出来るだろう。そこに一貫して読みとれるのは――気配こそ殺してはいるが――実は“アンチの姿勢”なのではないのか? そのブレのなさに評価、支持も広まったと思うのだ。
彼らの新曲のタイトルを知り嬉しくなってしまったのは、まさに俺の唱えた説を立証するかのように、かなり挑発的なものだったからである。
しかし(くどいようだが)最近の新譜の九割以上、資料の封を切らずにこの仕事済ませちゃえてますぅ(笑)って。こんな業界で平気なのかね。
閑話休題。
この人たちの場合、やはり売りは“エアー”ということなので、まずは映像付きの音源からチェックを始めたところ、さすがといっていいのか、音と演奏(のフリよね?)の呆れるほどに見事なシンクロぶりに思わず笑って……もとい! 目を奪われてしまった格好の俺ではあったが、ところでひとつ気にかかることがあった。タイトルである。
普通に読めばこれは、「このようにCDが売れぬような状況の世の中では……」といったことで、たとえば歌詞には“やってらんないよ”とかなんとかそんな答でも待っていそうだし、いわば、情けない“ボヤキ”のようなものと受け取って構わないのだろう。だがしかし一方では、「こんな世の中ゆえ、CDが売れない!」の倒置形という風にもとれる。そうなると話は違ってくる。それは強い意思のあらわれ、一種のプロテストである。そのふたつはまさに似て非なるものだ。
一体どっちなのか? そんなことも気になって耳を凝らしてはみたのだが、残るのは「商売になっているのはただAKB関連のみだ」という指摘ばかりで、その波及するところ、あるいは原因いずれにせよ、彼らなりの見解/考察などはみられず、せっかくのテーマ? というに、聴き終わって期待ほどにスカッとした気分にはなれずじまい。うーむ……それだけがちと心残りな『#CDが売れないこんな世の中じゃ』ではありました。
Kalafina。
音楽に求める第一義を、透明感、清潔感などとする層には是非購入を勧めたい曲だ。
今週のフェイク「第三のビールがニセビールなら、アルフリはウソビールと呼んでいましたけど、ついにオレを満足させるウソビールが出ました! アサヒのドライゼロフリー。その“5つのゼロ”ってヤツ。相当のビール好きでも満足すると思うよコレ。朝から6本飲んでもまだいけるね」と近田春夫氏。「コツは口に含まず、ノドごしだけで味わうことです」
