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浮世絵から写実へ 高橋由一、岸田劉生らの西洋画への挑戦

2017/04/22

 アートは、地域の風土、地勢や文化、歴史と深く関わり合いながら生まれてくるもの。それを改めて実感できる好企画の展覧会が始まった。

 神奈川県のJR平塚駅から徒歩圏内、文教ゾーンの一角にある平塚市美術館での、「斎藤文夫コレクション 浮世絵・神奈川名所めぐり」と「リアル(写実)のゆくえ 高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの」。二本立てで同時開催中である。

浮世絵で見る観光地・神奈川

「浮世絵」のほうから、会場内に歩を進めてみる。天井が高くて広々とした展示室の壁面に、横一列に延々と並ぶのは浮世絵で、どれも神奈川県にゆかりのあるもの。

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 浮世絵は江戸時代に端を発し、江戸の市中で大いに発展した江戸文化の粋だけれど、神奈川の名所を題材にとった作品も数多く残っている。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 後期(5/16~6/11)に展示

 なぜかというと、江戸時代にはすでに、神奈川は人気の高い観光地だったから。諸国が争う戦国時代を経て、江戸の太平の世が長らく続くと、身分のある者のみならず、だれもが旅に憧れ、実際に旅に出る人も増えていった。一般市民のあいだでは、伊勢神宮を目指すお伊勢参りをすることが、一生のうちに叶えたい大きな夢となっていた。

 江戸幕府の治世が長く続き、市民生活にゆとりが生まれるにつれ、旅に出られる人はどんどん増えていった。江戸から関西方面へ通ずる街道も整備され、あちらこちらに宿場町もできた。

 いざ出発となり、江戸を出てまず旅情を誘われるのは、神奈川各地の光景だった。東海道を京へと上っていくと、箱根の山があり、江の島など海も見渡せる。そして何より、富士山を間近に望める。江戸の人たちの富士を愛する気持ちは、現代人の比ではない。旅に出てよかった! そう心から叫びたくなる思いに浸れるのが、おそらくは神奈川の地だったのだ。

歌川広重(初代)《東海道五拾三次之内 平塚 縄手道》 前期(4/15~5/14)に展示

 ゆえに神奈川の名所を取り上げた浮世絵も多くなる。それらを丹念に集めてきたのが収集家として知られる斎藤文夫である。今展では、彼のコレクションが並んでいる。

 世界的にもよく知られる葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、タイトルの通り神奈川沖の光景を写したもの。歌川広重も、大人気シリーズだった「東海道五拾三次」で、《東海道五拾三次之内 平塚 縄手道》を残している。広重は他に金沢八景の光景なども題材にした。

歌川広重(初代)《金沢八景 小泉夜雨》 前期(4/15~5/14)に展示

 鳥居清長は《江之嶋》で、江の島とその先に見える富士山、手前には浜で遊ぶ人たちの姿を印象的に描き出した。風光明媚とされる地は、昔も今も変わらぬものなのだと、浮世絵がはっきりと教えてくれる。

鳥居清長《江之嶋》 後期(5/16~6/11)に展示

西洋画がもたらした「リアル」の変化

「浮世絵」の隣の室では、「リアル(写実)のゆくえ」と題された展示が繰り広げられている。こちらは江戸に次ぐ明治時代から現代にかけての日本絵画が並ぶ。日本画家が写実という考えをどう捉え深めてきたか、その変遷がよくわかる絵画ばかりだ。

高橋由一《鮭》 制作年不詳、山形美術館寄託

 事物をそっくりに描き写すこと、それが写実。画面のなかに、まるで本物みたいにリアルなものを生み出したいという気持ちは、古来、人が抱き続けてきた根源的な願望。ただし、それを画面に実現する方法は各地で異なった。日本では、印象に残るものは実際の縮尺を無視して大きく描いたり、モノの影を描かなかったりといった、独自の写実描法が確立されてきた。

 土地が変われば流儀も変わり、西洋ではまったく異なるルールが築かれていた。遠近法というモノの見方を生み出し、陰影を利用して立体感を出す方法が編み出され、長い年月をかけて洗練されてきた。江戸時代の鎖国を経て、明治時代になると日本では、西洋の文物を急ピッチで取り込むこととなる。絵画の世界も例外ではなく、西洋風の写実を摂取することに、画家たちは必死に取り組んだ。

 今展では、明治以降の日本人画家たちの、涙ぐましいまでの努力の跡がたどれるかたちになっている。明治の画家・高橋由一は、大きな鮭を精細に描いて、当時の人々を驚かせた。分厚い皮、目に眩しい身の赤さなどの描写は、まるで実物がそこにあるような錯覚を観る者にもたらす。

 大正時代では岸田劉生が見事な作例を残す。どこにでもありそうな坂道や、自身の娘を、これ以上ないほどの克明さで描き出して、画面のなかにリアルさを住まわせた。近代日本を代表する写実の名品をこうしてまとめて観られるのは、うれしいかぎり。

岸田劉生《麗子肖像 ( 麗子五歳之像 )》 1918 年、東京国立近代美術館

 江戸時代の浮世絵も、もちろん対象をリアルに写し取り、その場の空気まで伝えんとしてつくられていたものだった。明治以降になって西洋文明の摂取が進むとともに、リアルの表し方は大きく変化した。時代に応じた描き方に取り組んだのが高橋由一や岸田劉生だったのだ。

 現代でも、写実を突き詰めることでリアルさを生み出そうとする画家の試みは続いていて、犬塚勉《林の方へ》や安藤正子《Light》といった作品で、その成果を会場で観ることができる。細密さ、手間のかけ方、対象への情熱の注ぎ方には圧倒されてしまう。

犬塚勉《林の方へ》 1985 年、個人蔵

 社会や文化の変化は、アートにそのまま反映されていくもの。実物を観ながら、改めてそう気づかされる。

浮世絵から写実へ 高橋由一、岸田劉生らの西洋画への挑戦

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