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言葉は非常に大きな苦しみを与えるけれども、しかし人を救うということはありますよね――北村薫(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/06/26

genre : エンタメ, 読書

note

編集者と話しているといろんなネタが出てくるんです

――さまざまな女たちが少し不思議な話を語る『語り女たち』(04年刊/のち新潮文庫)、仲良しだった少女たちのその後の人生を描き出す『ひとがた流し』(06年刊/のち新潮文庫)のような話をお書きになる一方で、本格ミステリ大賞を受賞した『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』(05年刊/のち創元推理文庫)のような、クイーンの遺稿という設定で評論にもなっている作品もある。本格ミステリーとそうでないものと、かなり幅がありますよね。

語り女たち (新潮文庫)

北村 薫(著)

新潮社
2007年3月28日 発売

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ひとがた流し (新潮文庫)

北村 薫(著)

新潮社
2009年4月25日 発売

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北村 器としてね、どういうものがあるかというところから考えます。たとえば『中野のお父さん』だったら、謎がなくては変でしょうね。主人公の田川美希さんの恋愛話だけだと、なんか変でしょう。

中野のお父さん

北村 薫(著)

文藝春秋
2015年9月12日 発売

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――確かに(笑)。女性編集者たちの話も増えていきますよね。『飲めば都』(11年刊/のち新潮文庫)とか、『八月の六日間』(14年刊/のち角川文庫)とか、『中野のお父さん』もそうですし。

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飲めば都 (新潮文庫)

北村 薫 (著)

新潮社
2013年10月28日 発売

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八月の六日間 (角川文庫)

北村 薫(著)

KADOKAWA/角川書店
2016年6月18日 発売

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北村 編集者と話しているといろんなネタが出てくるんですよね。『飲めば都』は女性編集者たちの酔っ払いの話をよく聞いていたので、じゃあ書いてみようかと。新潮社の人の話だけじゃないですよ、もちろん(笑)。編集者を書くというのは、取材が楽だということもありますね。

――でも編集部が舞台とは限りませんよね。『八月の六日間』で文庫解説を書かせていただきましたが、これは40代目前の編集者の女性が、山登りをするなかで、自分の来し方を見つめなおしていく物語。これもミステリーではありませんが、どういう依頼があったのでしょうか。

北村 編集者から「書いてください」って言われて、のらりくらりと逃げ回りながら、相手の話を聞いているわけです。そうするとたまりかねたのか、山に行った話をしだしたので、それは面白いな、と。今まで書いたことがないですし。山に行って、ひたすら歩いていると、やっぱりいろいろ思考する。今までの辛いことや苦しいことを考える様子を無理なく書ける手段として面白いだろうと思いました。じゃあちょっと書きましょう、ということで。

――ご自身はまったく山に登らずに書いたとうかがって衝撃を受けましたよ…。

北村 だって登ったら死んじゃうもの。

――たしかにここに出てくる山は、素人が簡単に登れる山ではないんですよね。

北村 まして普段はこたつにしかいない人間ですから。登っても二階ですから。

 

――彼女がある期間のあいだに幾度か山に登る、その数日間の様子が章ごとに切り取られていき、そこから彼女の人生が立ち上ってくる。ここに描かれるのは、友人の死など、彼女にとってなにか辛いことがあった後の山登りですよね。

北村 辛い時は、身体を痛めるといったら変だけれど、身体を動かすことでそれとなく解放される部分があるだろうと思うんです。肉体的にはつらいけれど、逃げるわけにはいかずに、単純にそれを繰り返していく山登りは、そういう場として最適でしょう。この人には最初、自分の部品をなくしたような、自分が十全のものではなくなったような苦しみがあるんです。そこからいかに立ち直っていくかという話ですね。最後に、向こうからある男が来た時に言う言葉というのは、真ん中くらいまでは見つからなくて。

――はい、最後にある言葉を気負いなく言っている彼女を見て、あ、もう大丈夫だなと思わせますよね。私は以前、この本についてインタビューした時に北村さんがおっしゃった「一年365日の中で、山に登ってきた6日間が他の359日を支えてくれる」という言葉に個人的に救われました。人生はそういうものなんだな、と。

北村 言葉って不思議ですよね。ひとつの言葉で取り返しのつかないくらい傷つくし、なんでもないような言葉を自分で受け止めて、それで救われたりすることがある。もし我々が言葉を持たなかったら、「未来」とか「明日」という言葉もなかった。でも言葉を得たことから、時間というものに対する苦しみは始まった。言葉は非常に大きな苦しみを与えるけれども、しかし人を救うということはありますよね。

 これからやろうとしているのが、『いとま申して』の第3巻の話なんですけれど。昭和8年から始まる父のノートの、開いたところに「豪華」って書いてあるんですよ。そこから始まる昭和8年の日記の部分というのは、借金がどうとか、就職できないとか、すごく惨憺たる日常が書かれてあるんです。そのノートに「豪華」って書いてある。そのひとつの言葉が、人を救うということに繋がっていくんです。どういう繋がりかは本ができてからのお楽しみなんですけれども。