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楠木 建
2017/04/25

「想像」は裏切るが、「経験」は裏切らない

楠木建の「好き」と「嫌い」――好き:経験 嫌い:想像

喫煙所のイイ会話

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 喫煙所には3つのいいところがある。1つは周囲に気兼ねなくタバコが吸える(当たり前だ)。2つ目に、よく言われることだが、そこで一緒になった人とちょっとした雑談ができる。わりと大切な情報交換ができたりする。これは職場などで常用している喫煙所のケースである。

 3つ目に、駅やホテルなどの公共施設の喫煙所に一見(いちげん)の客として入ったときにままあるのだが、イイ話との遭遇である。何ぶん狭小閉鎖空間であるため、大きな声で話をしている人がいると、聞くとはなしに会話の内容が耳に入ってくる。で、面白そうな話だと、意識して聞き耳を立ててしまう(行儀が悪くてごめんなさい)。

 先だって仕事の現場から次の現場への移動で歩いていると、予定よりも10分ほど早く着きそうな塩梅。すると目の前に「喫煙所はこちら」の標識を発見。渡りに船とばかりに入り、さて一服とタバコを取り出すと、すぐ横で初老のおじちゃまが、25歳の若者(後に書く会話から25歳であることが判明した)に大声でガンガン説教をしている。これは面白いことになったぞ……と、しばしご相伴に与かった次第である。

©iStock.com

 おじちゃまは実にイイ顔をしている。顔に刻まれた皺の一筋一筋にこれまでの人生がじんわりと染みこんでいる。わりと尖った髪型や服装からして、アパレル小売の経営者を思わせる。もしかしたら飲食店を経営しているのかもしれない。いずれにせよ、独力で道を切り開いて生きてきた、海千山千の人物に特徴的な高濃度の相貌である。

イイ顔「(フーと深く煙を吹き出し、十分に間を置いたあとでおもむろに)お前さ、あのとき悔しいと思っただろ?」

若者25歳「はい……」

イ「だよなあ……。顔に出てたぞ」

若「はい。すいません……」

イ「いや、いいんだよ。気持ちは分かる。それが普通なんだから……」

若「……」

説教の達人

 どうやら、若者25歳はイイ顔がオーナーとして経営しているアパレル店(もしくは飲食店)の店長で、その店のお客さんとちょっとした揉めごとがあったらしい。実況を続ける。

イ「……(また十分に間を置いた後)、お前いくつになった?」

若「25になりました(ここで25歳であることが判明)」

イ「そうか、25か……。俺もお前のころはそうだった。でもな……(と、再び間。この間の取り方が絶妙)」

若「……(吸っていたタバコをもみ消して、いよいよ神妙に拝聴する姿勢を整える)」

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イ「俺が分かってほしいのは、雇われ店長と本当の店長の違いなんだよ。悔しいと思うのは反発だ。本当に自分の店だと思っていて、お客を本当にお客だと思っていれば、反発するよりも先に、情けないという気持ちになるもんだ。お客に対して体裁を取り繕っているんじゃなくて、心の底から、申し訳ないという気持ちになるんだよ」

若「はい……」

イ「いつまでたっても雇われ店長の気分で働いていると、一生それで終わる。30までには沖縄に帰って自分の店を出したいんだろ?」

若「はい。気持ちは変わっていません」

イ「だったらこの辺でもう一段視座を上げろ。自分がオーナーだと思って仕事をしなきゃダメなんだよ。このままだと独立してもロクなことにならないぞ。今の店の仕事はそのための道場だ。未完成のオーナーとして独立するんじゃなく、道場で完成されたオーナーになってから独立しろよ」

若「はい……」

イ「わかったな。そうなったら、独立のときは俺がいくらでもバックアップしてやる。何度でも沖縄に行って手伝ってやる」

若「はい、ありがとうございます!(目にキラリと光るものあり)」

イ「でも、こんな生活してたら5年後に元気で生きているか、わかんねえけどな!(野太い笑い)」

若「……(笑)」

イ「よし、店に戻ろうか……」

若「ありがとうございました!」

 実にイイ説教である。真横で聞いていたので、思わず若者25歳と一緒に「ありがとうございました!」と言ってしまいそうになったほどだ。おじちゃまの言うことは経験に裏打ちされた、親身のアドバイスである。若者も素直で実にイイ。喫煙所を出ていく若者の背中を見送りながら、「君の将来に幸あれ!」と心の中で祈った次第である。