「人間」と「アイドル」の両立を求めている
――そういう気持ちが、今回の『武道館』につながっていったわけですね。
朝井 モーニング娘。のOGメンバーで結成されたグループ・ドリームモーニング娘。の『シャイニング バタフライ』という曲の存在も、とても大きかったです。あの曲を聴いて、物語の結末を決めました。当時のファンはみんな、恋愛スキャンダルで脱退したメンバーのことを「アイドルとしての自覚がない」と怒っていた。でも、ドリームモーニング娘。のコンサートでは、ステージ上のOGたちがみんなスポットライトを浴びてキラキラしていて、OGというよりは現役アイドルみたいで。結婚して子どもがいるメンバーも多い、つまり「人間」としての欲望を叶えながら「アイドル」としての欲望も叶えている、この人たちは「人間」と「アイドル」を両立していると思って。その姿から、アイドルでいる時期はとても短い、アイドルでなくなったあとの人生のほうが長い、つまり人生はトータルなんだ、という当たり前のことを強烈に感じたんですよね。「アイドル」の解放を見た気がしたんです。その感動を文章にして残しておきたいと思いました。
客席の人たちが声援を送っているのを見て、あの頃プンプンしていた人たちはどこへ行ったんだろう、とも思いました。あの時言われた「アイドルとしての自覚がない」の「自覚」って何? アイドルをアイドルたらしめているものって何? と思いました。
――そう感じたことを今のうちに書いておかなくては、という気持ちがあったわけですか。
朝井 アイドルを取り巻く価値観は動き続けていると感じます。握手会で会えるアイドルが最終形態ではなく、きっとこれからも変わっていく。その前に、ある種異常な現状を書きとめておきたいという気持ちはありました。それに、今後価値観が変わっていくなら、アイドル=人間だという価値観に辿り着いてほしいなと思うんです。今は消費者側がどんどんワガママになっていて、アイドルに対して、「かわいくいろ、若くいろ、だけど恋愛をするな」「たくさん歌え、踊れ、訓練しろ、ただ疲れても食べるな太るな」といった、人間には両立できない要求を突きつけているんですよ。「人間」にはできないだろう、だけどお前は「アイドル」だからできるよな? と。この本の大部分は、そうしたアイドルを消費する人たちに向けて書いているとも言えますね。
――主人公の愛子は、ごく普通に高校生活も送っているし、幼なじみの男の子とも仲良くしている。アイドルとしても野心に燃えるというよりは、淡々としていますよね。どういうタイプをイメージしていたんですか。
朝井 作家の仕事でアイドルの方たちとお会いする機会もあったんですが、自分たちの市場にものすごく自覚的だったんです。自分たちの知名度は局地的なものだと誰に言われるでもなく理解しているし、もちろん高飛車でもない、天狗にもなっていない。自分がどういう業界にいて、その中でどういう立ち位置なのかをとても客観視している。そのあたりは自然と反映されたかもしれません。
本当は、はっきりと自分の意見を言うような、ある程度主観で動く主人公体質の人のほうが書きやすいんです。物語を進めてくれるから。でも、今のアイドルって「人間としての私」の意見をあまり言わない気がするんです。ブログでもライブのMCでも、いろんな方向から矢が飛んでくることを想定して、誰も傷つけないように「アイドルとしての私」の言葉を差し出している。だから愛子も、思ったことをあまり口には出さない子になりました。なので、モノローグで思考の大半を描写していますね。
モノローグでメッセージを書くことは他の小説でも結構多いんですが、僕自身私生活で決め台詞を口にする人間じゃないし、周りの人もそうじゃないと感じるので、自然とそうなるのかもしれません。そんなとき、「テニスの王子様」のミュージカルを観たんですが、みんなバンバン決め台詞を言うから、ビンビン響いてしまって大変でした。肩を掴んで揺さぶられている感じでした。あれはハマる気持ちもわかりますね。