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西岡 研介
2017/05/12

「山口組」対「一和会」に巻き込まれた人々は、何を感じていたのか

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一推しニュース

▼〈アナザーストーリーズ 運命の分岐点「山口組対一和会~史上最大の抗争~」〉『NHK BSプレミアム』4月11日

「なんで、今さら『山一』やねん?」

 NHKの友人からこの番組を勧められた時、正直、こう思った。

「山一抗争」は一九八四年、跡目争いに端を発した、山口組と、分裂した一和会との対立抗争だ。終結するまでの五年間に三百件以上の殺傷事件が起こり、一般市民も含め九十五人の死傷者を出した、日本の暴力団史上、最大の抗争だった。

 確かに最近、この抗争が世間の注目を集めたことがあった。一昨年の八月、山口組が、「六代目山口組」と「神戸山口組」に再び分裂した直後だ。メディアはこぞって山一抗争を引き合いに出し、危機感を煽ったが、三十年前と今とでは、暴力団を取り巻く法律も、社会状況も違う。今どき、山一のような大規模な抗争事件を起こせば、両団体とも暴対法によって「特定抗争指定暴力団」に指定され、壊滅状態に追い込まれるのは必至だ。

 案の定、この二年間、下部組織の散発的な衝突や殺傷事件は起こったものの、「抗争」と言えるような状態にはなく、表面上は平穏に推移している。それだけにNHKがなぜ、このタイミングで「山一抗争」を取り上げるのか不思議だったのだが、その疑問は番組を見て氷解した。

 彼らは抗争そのものよりむしろ、それに巻き込まれた人々が何を感じ、どう動いたのか、当時報じられなかった「アナザーストーリーズ」を伝えたかったのだ。

 番組は山一抗争に三つの視点から迫る。「第一の視点」では、抗争中に暗殺された竹中正久・四代目山口組組長とその周辺に焦点が当てられた。これはこれで、ここ数年のNHKが得意としている“掘り起こし”取材と、豊富なアーカイブ映像で見ごたえがあったのだが、ユニークだったのは「第二の視点」。主役は当時、抗争を取材していた夕刊紙の記者たちだ。

 戦後から八〇年代後半にかけて大阪では「大阪日日新聞」や「関西新聞」、「新大阪新聞」などの地元夕刊紙が隆盛を誇っていた。これらの夕刊紙は、ひとたびヤクザの抗争となると、「全面戦争突入!」、「白昼の銃撃戦!!」などと、禍禍しい大見出しで読者の関心を引き、詳細な記事内容で全国紙を圧倒した。

 番組では、実際に現場で取材していた各夕刊紙の記者が登場し、インタビューに答えていたのだが、当時三十代だった彼らが抗争を取材しているうちに、非合法的で、非合理的な生き方をしている「ヤクザ」という人たちに、抵抗を覚えながらも、惹かれていった様が伝わってきた。

 そして「第三の視点」は、元山口組顧問弁護士、山之内幸夫氏のそれだ。山之内氏は山一抗争当時、山口組側の記者会見を仕切り、その後も一貫してヤクザを弁護し続けていたが、依頼人が関係した事件に関与したとして、最高裁で有罪判決が確定し、弁護士資格を剥奪された。

 私は彼の著書も拝読し、仕事もご一緒したことがあるのだが、正直、彼がなぜあそこまで「ヤクザの側」に立とうとしたのか理解できなかった。だが、番組では彼が弁護士になるまでに歩んできた「底辺の人生」にまで遡り、その答えを見出そうとしていた。

「ヤクザネタは、大阪の人間は好きでしたから、当時。皆、怖いもの見たさで読んでましたね」

 番組の中で、夕刊紙記者の一人がこう振り返っていたのが印象的だった。が、「ヤクザネタ」が好きな人間は「大阪」に限らず、「当時」だけでなく今もいる。

 だからこそ、出版不況の今なお三誌もの実話誌が生き残り、未だにヤクザが登場する小説や映画が生まれ、彼らを取材対象とする私も、なんとか糊口を凌げているわけである。

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